徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

東京に戻ってきて

北海道から帰ってきてやや二日。一にも二にも主張したいのは東京の不快指数である。「北海道は空気がきれい!」「都会は空気がよどんでいる!」鋭くもない肌感覚でしか測れないアーバンカントリー二元論に首を突っ込む気はさらさらないが、しかし感じてしまったものはどうしようもない。東京は空気が重い。少なくとも、清々してはいない。

地元で久しぶりに走ったのであるが。

 

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口の中は血の味、横腹は複数の刺し傷が認められそうなほどの痛み、両足には鉛、その他多数様々な不具合を露呈しながらも走りきったわずか2キロの道程。地面こそアスファルトだが、遮るもののない空と生い茂る木々の中を疾走したときに肺いっぱい吸い込んだ空気は、東京都墨田区錦糸町界隈ではまず吸い込むことのできない純度の高い酸素であった。どこまでも走れる気がしたのも、空気のもたらす効能だったかもしれない。仮初めの効能だった。

この湿気と高温から逃げる手段として、我が家も平気でエアコンをつける生活をしてしまっている。「不快→エアコン→排ガス垂れ流し→不快に拍車」なんていうわかりやすいバッドスパイラルを招いている張本人としての責任は感じている。が、職業柄たまに向かう大黒ふ頭の大工業地帯から垂れ流される黒いスモッグや冬場でも陽炎を呼ぶ高温ガスを考えると、僕の家から出る排ガスなんて、海の中で3歳児がするおしっこみたいなものだと思い、平気な顔してエアコンをつける。風呂上り、エアコン全開の部屋に入る幸せったらないのである。不快だからこそのジャンキーな幸せもある。

しかし、どうひっくり返ったって北海道は清々しい。これはなんなのだろう。故郷補正か。それとも緯度や経度や標高からなる自然環境が非常に人間の生活に適したそれなのだろうか。樺太・千島、その上のカムチャッカウラジオストクの彼方はもしかしたらもっと清々しい自然が広がっているのかもしれない。憧れすら感じる。

 

 

小腹がすいたので、コンビニに行き、TSUTAYAでDVDを借りて帰ってきた。土産で買ってきたカワハギの佃煮を乗っけた冷奴をつまみながら、今借りてきたDVDを観る。投機的な幸せを感じている。東京都の墨田区だからこその幸せである。北海道の北見市ではどこに行くのも何をするのも車だ。なにごとも一長一短なのだろう。どこかを突っ張れば、どこかに皺が寄る。東京も良し、田舎も良し。どこの長に目を向けるか。どこの長に重きを置くか。それだけのことだ。

帰ってきてばかりからか、どうしても北海道のいい所に目が行ってしまう。

北海道は空気がきれい!