徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

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ここ数日の筆不精についての反省 ~僕の24時間~

ここの所、筆不精である。誰に向けるでもない青くも酸っぱい文章をヘドロの如く垂れ流し、続けてきたこれまでの1年半の間を見ても、なかなか類を見ない無精っぷりである。

一日は24時間。

これは誰の元にも平等に訪れる時である。ビルゲイツ孫正義も、クリスティアーノ・ロナウドイチローも、うちの母ちゃんもマンションの大家さんも、みんな等しく24時間を回して生きている。その中で何を成すか。どう過ごすか。働いて巨万の富を得るもの、天使の如く大人望を築き上げるもの、スーパーに行って今日の晩御飯を何にするか考えながらふらつくもの。好き好きであり、そこに貴賤も善悪もない。

 

僕の24時間は簡単である。

朝起きる。朝ご飯を食べる。弁当を作る。仕事に行く。働く。昼ご飯を同僚のおばちゃんたちとみんなで楽しく食べる。働く。帰ってくる。晩御飯を作る。風呂に入る。寝る。

なんてシンプル。非常にソリッド。贅肉がそぎ落とされた日常は、若干の酸いと甘いを残しつつ、通勤特急の如く過去から未来へ過ぎ去っていく。しかし贅肉は付いていく。どちらも瞬く間である。

文章でいうところの句読点の狭間で、上手いことギターを弾いたり文章を書いたりと趣味の時間を捻出しているのだが、何しろ弁当を作る作業がものの見事に三日坊主にならずに続いているので、まずまず朝の時間を圧迫してくれてしまっている。野菜を切って炒めて、その間に冷凍ごはんをチンして弁当に詰めて、野菜炒めをまた詰めるという、これまたシンプルかつソリッドな作業工程なのだが、洗い物を含めると15分は確実にもっていかれてしまう。帰ってきたは帰ってきたで、それなりの疲れを両肩両足にこびりつけながらの帰宅になり、一度寝そべったら二度と立ち上がれない背水の陣での寝支度となる。油断も隙も許されやしないのだ。

平日はご覧のとおり、比較的いっぱいいっぱい盛りだくさんな日々を過ごしている中で、通勤やほんの少しの早起きでブログを更新してきた。

だが、ここにきて、僕を苦しめる新たなルーティンワークが加わろうとしている。

ジョギングである。

運動不足を痛感した先の帰省。僕はこのまま廃れていく自分の体を何とかしようと発起した。走ろう。30分でいい。毎日やれるだけ走ろう。マラソン大嫌いお兄さんが、ジョギングである。ピーマン大嫌い少年がピーマンの肉詰めを毎日食べているようなものである。想像してみてほしい。思うよりしんどい。

だが一応は2年前までは一生懸命走っていた身である。素養はある。素養は。言い聞かせて走る。起き抜けの30分を走る時間にしようと決めた。

すると日々の朝はどうなるのか。

走ってシャワー浴びて弁当作りながら髪乾かして身支度して朝飯を食べながら出かける。

句読点なんて挟まる余地はない。煩雑かつ膨大。息つく暇のない朝時間を過ごし、猛烈に駅まで向かい、弾丸の如く通勤する。会社では一人だけホッカホカの体温と血流でさわやかに仕事をするも、昼過ぎ夕方はガス欠になり途端に頭と体の動きが鈍くなる。

お分かりになろうが、ジョギングに押し出されるがごとく、僕の文化的な執筆活動は土俵を割ろうとしているのだ。ゆゆしき事態だ。かといって、こんなにつらい思いをして走っているんだから、どうせならやはりシンプルかつソリッドな肉体を得るまで続けてやりたい。二兎追うものは一兎をも得ないと言うが、本当なのだろうか。どうなんだろう。

 

ひとまずは、全部取りを目指して、ガッチガチの朝時間を潜り抜けながら、書けるだけの文章を何としても書いていく。ダメならダメで、シンプルかつソリッドに判断していきたい。