徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

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スマホ嫌

もう、いいのではないだろうか。生活のあらゆる事象に付帯してくるスマホ。一年間スマホが無い生活か、100万円贈与かを天秤にかけるとすると、結構迷うレベルで、僕らスマホに依存している。

しかし、何につけても目が疲れる。しょぼしょぼする。そもそもが0.03とかっていう、大けがレベルの視力だってのに、輪にかけてしょぼしょぼするのである。若者のくせして、ぼろぼろの眼球を引きずっているわけだ。

そういうわけで、緑が見たい。深緑の木々に包まれたい。マイナスイオングリーングリーンを全身で感じてやりたい。スマホスマホ言っていながらパソコンで執筆している現在の僕の周りの緑は、パソコンの電源スイッチくらいなものだ。あ、鉛筆も転がっていた。

電車の中に並ぶスマホスマホスマホの列。寝るかスマホしているかの彼ら彼女らは、いったいどんな目をしているのだろう。眼精疲労に苦労していないのだろうか。職業柄、仕事中にパソコンばっかりしている立場ではないのだが、それでも相当の疲労感がある。これがデスクかじりつきワークだったら耐えられないだろう。アイデストロイである。

小さなころは、視力検査が一大事であった。目が悪くなったら、前の方の席に固定されてしまう。ゲームやっていい時間が減らされる。メガネになりたくない。だからゲームの時間を守ったし、ランドルト環の向きを覚えたりもした。あの純粋な、視力後退への嫌悪感はどこへ行ったろう。暗がりで本を平気で読むし、テレビもパソコンもずっとやっている。気付けばスマホである。寝る前もスマホ、起きてもスマホ。目は疲れを訴えるが、謎の強い意志でパソコンを打つ手は止まらない。スマホの顔面を撫でる指は止まらない。

パソコンで文章をしたためている脇で、スマホは次の起動を待つべく、真っ白な管に繋がれている。静かに、明日に向けての力を蓄えている。その力は、僕に娯楽と時間つぶしと、ほんの少しの情報を与えてくれる代わりに、僕の眼力を奪っていくものだ。集中力も、なんなら、思考力も。

ミシンが生まれて、手縫いができる人が少なくなったように、洗濯機が生まれて、洗濯板でゴシゴシする人がいなくなったように、スマホが生まれて、僕たちは記憶を外部委託するようになったため、その内覚えるってことをしなくなるかもしれない。あほになっていくかもしれない。嫌だ嫌だ嫌だ。

あ、ライン来たわ。