徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

金木犀の香りとじいちゃん

本日、9月の晦日。まだ台風が南の海上にくすぶっているらしいが、めっきり秋めいてきた雰囲気がある。長袖でも全く不自由を感じることがなくなった。毎朝走る公園では、彼岸花が枯れ果て、金木犀が黄金色に近い黄色い花をコトコトと風に揺らしている。揺らいだ花はほのかな甘い香りを辺りに撒く。

母方の祖父が亡くなったのは、9年前の10月である。千葉県の佐倉市に生きた彼は、佐倉市で亡くなった。穏やかな気候に恵まれた佐倉は、日本情緒あふれる城下町である。堀田氏という大名一家が治めた土地で、まだ城が残っている。四季折々、梅に桜にツツジに極め付けはチューリップが咲き乱れる。

四季が美しい佐倉から、涼しいと寒いが一年の大半を占める北海道に嫁いだ母がおり、その地で生まれた僕がいる。生まれの通り、北海道で育った僕は、四季の花とかそういう知識に乏しい少年であった。


9年前、祖父が亡くなったため、僕は10月に佐倉に帰った。中学三年生の頃だった。北海道と千葉。遙かに離れた場所にいた祖父ではあったが、幼い頃よく構ってくれたこともあり、寂しかったし、哀しかった。祖父が逝った哀しみに沿うように漂っていたのが、金木犀の香りであった。母の実家の庭には金木犀が植えられていて、毎年秋には甘い香りが庭中を包んでいる。僕が母と佐倉に帰省するのは大体が夏休みか冬休みだったため、秋に帰ることはなく、物心がついてから金木犀の香りを嗅いだのは祖父が亡くなった時が初めてであった。なにしろ、四季が壊れている北海道に、金木犀はいないのだ。

初めて嗅いだ金木犀の香りに、心底驚いたのを覚えている。強い芯がある香りで、人工的なそれすらも感じた。これまでに経験したどの匂いよりも甘さを撒き散らしてた香りであった。


それ以来、金木犀の香りを嗅ぐと、祖父を思い出す。亡くなった時の香りから、生前の祖父を想起する。高校野球を見ながらうたた寝をする祖父からは隠居とはなんたるかを教わった。脳梗塞を起こしてから動きがゆっくりになっていった祖父を寝室まで送る時に、自分の成長を感じた。飼い犬に刺身をあげている祖父を制止したら、僕は祖父から叱られた。祖父の犬への愛を知った。

彼岸が過ぎた公園には、祖父が見え隠れする。走りながらも、なんとなく頭の中には祖父の姿がある。僅かならぬ思い出の中を突き進みながら、今日も走る。