徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

「地味にすごい!」の一話を観たところからの、ドラマに興奮する心理

久しぶりにドラマを観た。

 

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タイミングが合ったためだ。

中学高校のころ、夜は確実に家にいると確約があったころは、よく母とドラマを観ていたものだ。中学1年のころがピークだ。毎日観ていた。僕の情緒の発達をサポートしてくれていたように思う。大学へ進学し、一人暮らしをするようになって、決まった時間に家にいる生活から離れた結果、ドラマをあまり観なくなった。好きな情報に好きなだけ触れられる生活が目の前にやってきて、毎週決まって観る行為に奥手になったのだった。

それからというもの、ドラマから思いっきり離れた。疎遠になった親戚ととことん会わなくなってしまうように、ドラマをほぼ観なくなった。生活の負担になるのが嫌だったし、ちょっと観たところで話が分からないもんだからどうしようもなかった。大学生活四年間で観たドラマは、パソコンをいじりながらの半沢直樹だけである。

 

そして今日、「地味にスゴイ!」を観たのだが。

仕事、恋愛、美男美女。仕事、恋愛、美男美女。仕事…

これだ。すべてが、これである。22時台のドラマを観る層は、きっと仕事、恋愛、美男美女に飢え、仕事、恋愛、美男美女に悩み、仕事、恋愛、美男美女に憧れている。なんてわかりやすい論法だろう。数字を取るための機械的なドラマ設計のように思えなくもない。がしかし、それでも僕らは惹かれてしまうのだ。

サラリーマンとして生きる人々には、どうしても日々の鬱憤なるものが溜まる。上司に、取引先に、関係部署に、どうしても軋轢が生まれる。その軋轢の逃げ場として、自らを投影できるドラマは非常に効果的なのだろう。「スカッとする」感覚を植え付けたもん勝ちだ。さらに、主婦等の層を含むと、出会いを求める人がこれまた多い。そして、ドラマの中の彼ら彼女らは面白いように出会い、面白いように痴情が縺れ、面白いように着地する。着地までレールを惹かれた出会い。ほどけることを確約された縺れ。なんだその出来レースは。でも。でも。面白く観てしまう。寅さんがフラれるのをわかって観るのと同義だ。「志村後ろ!」とも同義。極め付けには、本能が美男美女を望む。タレント、女優、俳優。美男美女の最大公約数たちである。彼らが、カメラの前、台本の上で踊り狂う。面白くない訳がない。

僕はこれからドラマを観続けるのだろうか。怖い。もっと自由でいたい。毎週テレビの前に座ってワクワクドキドキする自分が予想できてしまうことが不安だ。あぁ。

来週が楽しみだ。