そう遠くない昔、寒風吹き荒む中を走り回っていた僕に向けて、人生の諸先輩方は一様に声をかけた。
鼻汁でてるよ!
鼻汁。鼻水?鼻汁…鼻汁?
昨日から鼻汁もとい鼻水が止まらない。荒れた鼻腔事情の中、思い出したのだった。
なぜだろうか。鼻汁というと、なんとも汚くなる。鼻水であればたらーっと垂れてくるイメージだが、鼻汁になると途端にじくじくと絞り出しているような、青黄ばんだ粘質物を想起させる。よって、鼻汁のほうが早く拭こうって気にさせてくれる。諸先輩方は賢かったのかもしれない。
しかし同時に、味噌汁を思う。どう転んでも同じ汁だが、妙に美味しそうである。例えば味噌水と読んでみよう。どうも薄い。水っぽい感じがする。味噌水はきっと美味しくないが、味噌汁は率先して飲みたい。
この関係からわかるように、水と汁の間には濃さのスペクトラムが存在している。
ほら、墨汁も濃いだろう。
帰納法と言う先人が残した偉大な論法を用いると今後のトレンドがわかるってものだ。藤原紀香と愛之助の愛の水素水が話題になったことを思い出して欲しい。高濃度になったらどうなるか。そう、水素汁である。ふんだんに水素を含み、何らかのヘルシー効果を生み出す水素汁。水素のおかげで、若干とろっとしているような気もしないでもないはずなようである。
そういわけで、どちらかというと鼻水よりの、ツルツルした鼻よりの分泌物が止まらない。季節の変わり目あるあるであった。