徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

あーでもないこーでもない

日本シリーズが始まった。道産子の夢を乗せた日ハムと、カープじゃけえのう。ほぼ間違いなく、実家では両親が全力を挙げて応援している。親父はほぼ睡眠に半身を突っ込みながら見ているはずだし、母は要所要所で爆発的な歓声と悲鳴をあげているはず。手に取るように様子がわかる。

スポーツ観戦大好き一家に育ち、もれなく僕もスポーツが好きになったのだが、当ブログで何度も述べている通り、一人暮らしになってからというもの、観戦の頻度がひどく減った。観ていたとしても、ながら観戦である。今日のように。

スポーツ観戦の醍醐味はあーでもないこーでもない語るところにあるのだろう。リオ五輪もそうだった。僕の歓声は虚空に浮かびシャボン玉のように空中分解し、僕のため息は靄となって部屋の空気の健康度を下げただけだった。楽しいことは二倍に、悲しいことは半分になりようのない、一人相撲である。1人で相乗効果を産める、アメーバみたいな生き物になれたらどれだけ観戦が捗るだろう。自らの歓声に気分が高まり、また叫び、高揚する。3歳児も真っ青の自己完結型ハイテンション。これぞ生産性ではないか。

ツイッターとはこういう気持ちのはけ口として非常に上手い商売をしているんだろう。持て余す身体、共有したい気持ち。

うーん。

今日は負けそう日ハム。