徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

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足の痛みに懐古

この痛みは部活やっていた時のそれであり、大して走っていないのにこの痛みを覚えている当たりどれだけ現在の体が脆弱なものかが非常によくわかるってものである。走り出して一ヶ月とちょっと。筋肉痛とは違う、筋違いの甚だしいやつに襲われている。どれくらい筋が違っているかというと、好きな色は。と尋ねられて、サンクトペテルブルクです。と答えるくらいに、違っている。君の名は。と尋ねられて、シンゴジラです。と答えるくらいに、違っている。患部は右足の太もも裏、いわゆるハムストリングス。ハムが張ってるなんて話をまたするなんて。

不意な一言が人間関係を悪化させることがあるように、一個のボタンのかけ違いが大きなズレを生むように、ほんの少しの着地の違和感やほんの少しの疲れのほったらかしがハムの痛みを生んでいる。この程度の痛みはよく見知ったものだ。感慨すら覚える。めちゃくちゃに足が痛くても走り続けた時期があったものだから、ちょっとやそっとの不調じゃ休めない。ある一点に特化した、一種異様な痛み耐性を獲得してしまっている。

だが、朝起きてカーテンを開け、慣れない日光に全身を被曝させ、眠気まなこのまま着替えて外に出て行く過程に痛みが挟まると、たちどころに立ち止まりがちになる。寝ぼけたまま走れるからいいのだ。公園の周回を回るごとに血液が回り、1速が入るからいいのだ。カーテンを開けた当たりで不意に太ももを伸ばした時に他愛もなくじんじんずきずきすると萎えてしまう。

いつだって捻れている。人間は。働きたくないけど生きがいは欲しい。人と触れ合いたくないけど人に感謝されたい。好きだけど素っ気なくなってしまう。痩せたいけど食べたい。走れなさそうだけど走らなきゃならない気がする。どれも同じ地平の上、葛藤をして答えを出しているのだ。全くもって。


今日もハムはあっけなく散った。電車で更新ボタンを押すたびに広島に点が入っていったあの切なさは忘れない。