徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

大谷翔平 ~幸せについて本気出して考えてみた~

彼になりたいと思う人は多いのではないだろうか。彼は絶対のヒーローだ。仮面ライダーの世界に彼がいたら、絶対に彼が仮面ライダーだし、ウルトラマンの世界に彼がいたら、絶対に彼がウルトラマンだ。北海道に彼がいたら、彼こそが大谷翔平のように。

対して、どうしても目立ちたくないという人間に出会ったことがある。一度や二度ではない。そういった人も至極メジャーな存在だと思う。スポットライトを浴びたくない。平々凡々、人並みの幸せを享受したい。しかし、人並みの幸せだけは享受していたい。よくわかる。
それでも、僕は、大谷翔平に憧れる。完封もすれば、サヨナラヒットも打つ。防御率2点を切れば、3割20本をケロッと打つ。そうありたいなんて思ってしまう。
中学の文集の中で『10年後の自分は?』って欄があり、僕は確か「でかいことをやらかしている」と書いた。今と変わらない酷く汚い字で。よく覚えている。でかいことをやらかし損ね、たどり着いた、中くらいのサラリーマンである。いくつものでかいことを素通りして、中くらいに納まった。「アポロ」で有名なポルノグラフィティの曲で、『幸せについて本気出して考えてみた』という曲がある。その歌い出しがこうだ。
僕がかつて小僧の頃イメージした壮大な人生プランからは多少見劣りはする
案外普通だし常識的なそれまでだ それはそれなりにそう悪くはないのさ
まさにである。鏡に映したかのようなそれまでだ。
大谷翔平が、「僕がかつて小僧の頃イメージした壮大な人生プラン」だとすると、現在の僕は、「案外普通だし常識的なそれまで」だ。ただ、「それはそれなりにそう悪くはない」のである。一節丸々、ドンピシャだ。
幸せだと思う。それはそれなりにそう悪くはないって思えている自分が、本当に幸せだと思う。誰も邪魔できない至極プライベートな空間、「自分」において、それはそれなりにそう悪くはないと思えているのだ。幸せだ。大谷翔平をうらやましく思うことすら含め、悪くはないのだ。
僕は明日も明後日も、大谷翔平に、中田翔に、期待をする。ドームの観衆に思いの丈を託しながら、きっと打つと願い、きっと抑えると祈る。その他大勢の楽しみを、何のプレッシャーもない幸せを、享受する。そして、現実の仕事にプレッシャーと切迫感を感じる。悪くはないと、言い聞かせる。
明日も勝て、日本ハム