徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

生乾き、死乾き

部屋干しを忌み嫌っている。大嫌いである。生乾きの匂い。湿った空気。どれをとっても粗悪の二文字。それ以外の何でもない。衣服、タオル、ハンカチ。身に着けるものや身を清めるものが発する臭いがあれでは、シャワーから汚水が流れてくるようなものであり、十余年も使った束子で歯磨きをするようなものである。しかも一度生乾きの匂いがついてしまった繊維は、そんじょそこらの洗濯ではハピネスでハミングなレノアの香りにはなってくれない。繊維の奥底に、脳裏に、鼻の奥にこびりついた、饐えた様なあの異臭。万死に値する。

雨は降る。日を選ばずに、巨大な大気な流れと気圧の押し問答に魘されながら発生した雲海が水を滴らせる。すると僕らは傘を差す。外出を控える。部屋干しをする。ほらまた部屋干しである。洗濯物は人間的な生活をする度に溜まるというのに、人間を生み出した愛しき雨、麗しき地球の涙が、鼻腔がひん曲がりヘアピンカーブにでもならんとする臭いを誘発するなんて。正義が何か見当もつかない。呆れたものだ。

今日はひどく寒い日だった。朝、まだ雨が降る前の外をランニングした時点では心地よい曇り空が広がっており、まさか荒廃した秋の一日の幕開けだったなんぞ知る由もなかったのだが、ふたを開けてみると今秋最低気温を記録しながらも雨がなかなか強く降った。出掛ける前に洗濯を済ませ、保険をかける意味も込めて部屋に干した今日の洗濯物は、帰宅時、見事に芳しき生乾きのかほりを漂わせていた。シクラメンのかほりとはなんだったか。なあ、小椋佳。なにやら燦々と愛が降り注いで幸せそうである。はぁ、まったく。

臭い。