徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

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対岸の合コン

僕たちは男同士で地鳴りのような声を上げながら大盛況の飲み会をしていて、通路挟んで向こう岸では男女の声が入り乱れる合コンが執り行われていた。粛々と。粛々と。

この時、僕たちとしては3通りの反応が示されうる。無関心と、歓迎的関心と、非難的関心である。

無関心は1番楽である。とりあえず向こう岸の黄色い声をシャットアウトして、こちら側の野太くもどす黒い声に耳を傾けていればいいのだ。話題の主戦場に参画していればいい。ただそれだけである。

歓迎的関心もまた楽だ。あの子可愛いね。あの子がいいね。トイレに行きながら、横目で見ながら、会話の折に挟むだけでいい。簡単なお仕事である。

非難的関心も、ある種容易い。全然可愛い子いないわ。まじよくわからんわ。なにやってんだろ隣のテーブル。これだけでいい。これだけでいいのである。

ふと気付いたのだが、僕たちはどの反応を示したとして、負ける運命にある。歓迎的関心。これはひとえに羨ましいのど真ん中ストレートだし、非難的関心なんて取りようによっては酷い羨ましがりでしかない。虚しいほどに対岸を羨み、切ないほどに対岸を蔑む。自分の元に牌がないことへの僻みだろうか。ツモれない、ロンしか待てない哀しい性の裏返しだろうか。無関心が1番の大人対応であるが、大人対応だと思っている時点で子供である。パラドックス

そもそも対岸の合コンが目に入ってしまう時点で、僕達は、ないしは、僕はもう試合に負けているのかもしれない。

共に飲んだ友を僕は誇りに思う。それこそが僕のアイデンティティなのだ。