徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

Stage of the ground

昨日夜からBUMP OF CHICKENのこの曲が頭を離れない。

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だいぶ前にBUMPのサードアルバム、jupiterについての記事を書いた。

 

ktaroootnk.hatenablog.com

 

その時、少しだけStage of the groundについても触れた。BUMPの人生大肯定ソングである。水面下での活動を続けたBUMPが、自らを認めるかのように強い言葉を優しいオブラートに包んで長いイントロを付け足した曲。今、頭から離れない。

応援とはとても難しい行為である。強すぎる言葉は弱く聞こえる法則に則ると、渾身の応援は多くの場合からかわれているように聞こえてしまう。対人的な事象への応援だと尚更で、例えばその辺の人がパッキャオと戦わなきゃ行けなくなり、なんとしても勝てなんて言われると、戦いに行く人は余計に心が萎えるに違いない。

BUMPの、特にStage of the groundにおける応援が上手いなと思う理由の一つが、「出来ない」ことを認めてから背中を押す点である。

飛ぼうとしたって羽なんかないって

知ってしまった夏の日

まず、飛べない。

未来永劫に届きはしないあの月もあの星も

そして、届かない。

各所Aメロの歌い出しなのだが、何しろ「出来ない」。勝負に負けている。惨めベースのスタートである。「出来ない」ことは無力だが、逆説的に「出来ない」が「出来る」に繋がっていく。

飛べない君は歩いていこう 絶望と出会えたら手をつなごう

飛べないから歩けるじゃないか。羽ばたいていたら手も繋げないじゃないか。

届かない場所にあるから 自分の位置がよく解る

その足に託された いくつもの祈りのカケラ達と 

叫んでやれ 絞った声で ここまで来たんだよって胸張って

届かないから自分の位置がわかるし、追い続けることが出来る。

この、出来ないからこそ出来ることの讃歌が、BUMPの、Stage of the groundの、真骨頂なのだ。

出来ないに塗れた世の中で何を成し得るかなんて知ったこっちゃないが、出来ないには何かと惨めがつきまとう。惨めを肯定することこそ、最高の応援になるのかもしれない。まずぬるま湯に浸からせてから少しずつ少しずつ湯の温度を上げていってくれるような、優しい応援である。

あの月も あの星も すべて君のための舞台照明

叫んでやれ 絞った声で そこに君がいるってこと

迷った日も 間違った日も ライトはいつも君を照らしていたんだ

君が立つ 地面はほら 365日いつだって

The Stage Of the Ground

なんとなく決まった舞台で、今日だって明日だって。Stage of the ground.