徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

月にはウサギがいる。餅をついている。ウサギと餅つきという冷静に考えたら全く脈絡のない二つの単語が、日本においてはここまで一般的に流布しているのだから凄い。

こないだスーパームーンがあったという。ものすごく月がくっきり見える日である。スーパームーンとか、月食とか、その類の天体ショーが行われないと、今僕たちは空を見上げない。星座なんてもってのほか。夜の灯りが蛍と雪と星空と月しかなかった頃、きっと人々はしきりに空を見上げたに違いない。どう結んだっていい星と星が、決まった結び方に落ち着き、月の模様が決まった柄に見えるほどに。

流行語から時代を感じる。数年前の流行語なんて、酷く褪せた言葉のように感じる。情報量も多ければ、情報が過ぎていくスピードも速い。めまぐるしい時代だ。だからこの先、月とウサギと餅つきの話のような、多くの人の血の中を流れる暗黙の物語は生まれないのだろう。1つのものを見つめる時間がない。動いているモノ、流れていくことを追いかけるのに精いっぱいなのだ。移ろいが魅力的なのだ。

雨が降る前の空、まだ月が出ているのだが、夜の主役がテレビでもパソコンでもスマホでもなく、月だった時代もあったのだろうなと思いを馳せる。二度と訪れない暇と飽きとが飽和した時代を思う。