徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

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185㎝75キロの人間が入浴するのに最も浅い水嵩は。

人は水たまりで溺死できるという。転倒し頭部を打ち付け、脳震盪になったところが水たまりだった場合、僕たちはいとも簡単に溺死してしまう。日々何事もなく素通りしている水たまりですら、僕らを殺せる。

はたと、考えた。溺死が水たまりで済ませられるなら、入浴にはどれだけの水嵩が必要なのだろう。

湯水の如く。際限なくいくらでも使用できる様を表現した慣用句であるが、実際僕らは湯水の如く湯と水を使えるわけではない。水には水道代がかかり、湯には水道代にガス料金も重なっていく。流しっぱなしの水。つけっぱなしの温水器。無駄遣いだけならいいものの、環境にも如実に影響するのだからバカにできない。

入浴と言えば、温泉に代表されるような、大自然の恵みを全身に受けて地熱を感じ、血の巡りを良くするダイナミックな行為である。また、部屋で入浴をするにしても、バブだきき湯だと、ゆっくり使って体を休める行為である。もちろん、必ずそこには多量の水が投入される。温泉のように湧きあがるエナジーなら有効利用も然るべきであるが、入浴用に水を温め、お湯を張り、入浴するとなるとどうだ。話が変わってこないか。

 

溺死の浅さに対抗するべく、昨今の湯水事情に一石を投ずべく、最浅水位での入浴を決行した。

その前に、入浴の定義を改めて考えよう。幼い頃、入浴中に親に言われてきたことがある。「肩まで入れ。」これだ。肩まで。肩まで浸かってこその入浴だ。そういうわけで、「肩まで浸かるもっとも浅い水位」を調査したい。185㎝・75キロのニュータイプジャパニーズが、チャレンジする。

一片の妥協も許されない挑戦であるからして、肩が浸かった瞬間を逃してはならない。そのため、肩が一番早く浸かるであろう体制をとってから、お湯を貯め始めた。様々な体制を試した結果、「体育座りをしたまま仰向けに倒れる姿勢」が一番浴槽の底面と肩との距離が近づくことが分かったので、これを採用した。

棺に納められたファラオの如き恰好で、お湯が溜まるのを待つ。あられもない姿で、中空を見上げる。今突然死んだら、誰が発見して、どんな気持ちで僕を見るだろう。親族は、友人は、浴槽ファラオをどう感じるのだろう。これほどまでに誰かに見られたくない恰好をしたことがあろうか。和式トイレで催している瞬間に匹敵するそれだった。

その瞬間はあっけなく訪れた。背中からじわじわと僕を満たす45度。肩甲骨を浚い、肩をの稜線をひたひたと登ってくる。あと少し。もう少し。肩が覆われるや否や、体育座りに素早く居直り、即蛇口をひねった。これほど腹筋に素早く力を込めたのは、大学の頃先輩の懐に飛び込み過ぎて唐突に腹パンチを貰った時以来であった。

僕の、僕の最浅入浴はいったい何センチなのか。準備が悪く、定規を居間に忘れてきたので、濡れた体を引きずりながらあられもない姿で、居間へ戻る。情けない。重ね重ね情けない。

 

結論。僕は7センチあれば入浴できました。