徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

恩師と坂と

恩師と言われ、すぐ思い浮かぶ存在がいるのはとても幸せなことなのだろう。高校時代の部活の顧問がそうだ。紛れもない恩師である。酸いと甘いとを共に味わった。もう何年も前のことだが。

その恩師は、坂が好きだった。坂。

彼は走るに適した坂を探すのが好きだったし、本当によく僕たち部員は坂を走った。うかつに野球ボールなんかを転がした日には、大谷翔平が投げたのかと錯覚するほどにスピードがついてしまうような、途轍もない急こう配の坂もあった。だらだらと400mほど続く緩やかな坂もあった。冬になったら氷が張ってしまうのだが、その上を走って体幹を鍛えるのだと言って、ツルツル坂を登ったこともある。

紛れもない恩師であるからして、傾倒もする。恩師の哲学を、それとなくかすめ取ってそれが正義なんだと思い込んだりもする。そんなわけで、僕は坂が好きになった。と、言うより、坂を見ると血が騒ぐようになった。

柔道をやっている人間が畳に上がるときに礼をする感覚。あれに近いのではないかと思っている。勾配がきつい坂に出会えば出会うほど、僕は静謐な気持ちでそれと向かい合う。「登らせて…いただきます…。」真摯に、丁寧に、一歩一歩登っていく。なるべく臀部に負担がかかるような登り方で。刺激を入れるために。

また、登るの大変そうとか、きつい坂だとか、もっともな思考が働く前に、走ったらどうだろうという考えがよぎる。ケツに効きそうだなぁと、ほくそ笑む。一種のフェチに近いのかもしれない。

全く、余計なものを植え付けられてしまった。坂を見るたびに血が滾る人間には別になりたくなかった。交通量の多い都会の坂に辟易とする人間にもなりたくなかった。

しかし、坂は田舎に限る。田舎の坂はいい。坂、それは人生に似たり。