徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

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歩くことが好きだ。目的地があり、時間があり、心に余裕があるときは、歩いて向かうことが多い。距離によりけりではあるが、一駅二駅とかだったら全然歩くのを厭わない。歩き好きは三つ子の魂である。幼稚園まで2キロ弱の道を母と歩いて向かっていた。4歳児にとっての2キロは恋人たちのディスタンスに匹敵するヘビーな距離だろう。しかし、嫌がらず歩いた。3歳の時に標高1,984m、大雪山渓の黒岳に登頂したことは記憶に新しい。

そういうわけで今もよく歩くのだが、一人で機械的に歩みを進めていくと、頭の中の有象無象が収斂されていく感覚を覚える。これが好きなのだ。全く別口で得られた情報とか知識が、歩くことによって程よくブレンドされ、そこはかとない真理らしきものを見つけ出せたりする。弊ブログにて声高らかに標榜されているどうでもいいような考えの種は、たいてい歩いている最中に生まれているものが多い。

さらに、謎の多幸感に包まれる。晴天が絶対条件になってくるのだが、PVにありがちな口ずさみながら街を闊歩するごっこなどをすると、さも自分が世界の主人公になったかのような気持ちになる。陶酔を味わえる。多幸感につながる。全然車の来ない交差点の赤信号を待ってあげようかなんて気にもなる。多幸感である。

アリストテレスだか、プラトンだかも確かふらふら歩きながら考えを巡らせていたはずである。ジョギングでは酸素と体力が持って行かれすぎて全く持って思考が止まってしまう。やはり、徒歩なのだ。ほら、芭蕉だってそうだろう。歩きまくって歩きまくって句を詠み続けたに違いない。まして伊能忠敬なんて、全国測量して回ったわけである。歩みを進める間、どんなスペシャルな考えが頭に浮かんだのだろう。全くもって、測り知れない。量り知れない。

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