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徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

うちのばあちゃんが他界して1年経とうとしています

ばあちゃんが亡くなって一年が経とうとしている。去年の今夜遅くに、ばあちゃんは死んでいった。

去年一昨年あたりまでは細く続いていた祖母の命であった。病院に散々寄っ掛かりながらも、続いていた。静かな子と書いて静子といった祖母だったが、人生通して静かな様相は見せなかったというのが親族一同共通の見解である。

死に際はぷつりと静かに事切れた祖母であったが、死してもまだ平安を与える気はないようで、人の死に付随する法律的な諸々や財産的な諸々にて、盛大に我が一族を引っ掻き回してくれているらしい。こればかりは実家になかなか帰られない身であるので想像するしかないのだが、渦中も渦中の家中の皆様には頭がさがる思いである。僕のばあちゃんが静かに息を引き取った後も太平をもたらさないでごめんなさい。


ここ最近になって今一度、ばあちゃんと話したいと思う。

僕の実家は極東オホーツクで本屋を営んでいる。今も、現在進行形で。叔父と親父の2人で、身の丈にあった商売をしている。本屋が栄華を誇ったのが、祖母の現役時代だった。足が悪くなる前で、ボウリングもテニスもスキーも流行るうんと前の話だ。総合デパートような、地域に根付いた一大商店だったと聞いている。時代が下って、残るべく形で残っている実家の本屋ではあるが、僕はその衰勢を知らなければならない。

どうあれ商売をしていく身である。公務員以外総商人時代だ。他人事じゃない自分の家が、どうやって売れるお店となったのか。そこから何がどう削ぎ落とされ、今の形に落ち着いて行ったのか。就活を通して入社した会社に対する帰属意識とは一味も二味も違った当事者意識を持って、商売の話を聞いてみたい。聞かなければならない。トランプの保護貿易ニューディール政策を見るように、必ず歴史の中には似たような局面があって、そこから未来を類推することができる。地域に根付くことができた「なぜ」を知れば、これからどうするかの指針を考えるヒントになるはずなのだ。だから、商売の真っ只中でお金とものをえっちらおっちら右左に動かしていたばあちゃんにこそ、何を考えていたのか聞いてみたい。

なーんてこんな熱量でばあちゃんと会っても彼女の性格からして、良いことは倍、辛いことは3倍にして、壮大な大河ドラマのような物言いをすることはわかりきっているから、大した収穫がないであろう想像は難くない。それでもいいと思う。お得意のセックスの話でもいい。あのパキッとしたおしゃべりをたまには聞いてみたい。僕に使っていたのが何枚目の舌だって構わないから。