徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

財布の中にお札をヘッドスライディングさせるんじゃない

お札、カード、小銭、レシート。以上が財布の構成要素である。リッチになればなるほど財布は薄くなり、プアになればなるほど財布は膨れる。反比例の様相。長財布、二つ折り、マネークリップ等々様々な形のお財布があるが、よく議題に上がるのがお札をどの向きで入れるか問題である。

頭から突っ込んでいる人が多いように見受けられる。どうだろうか。一説によると、お金が飛び込んでくるように、頭からさかさまにしてお札を入れるらしい。なんとなくもっともな理由のゲン担ぎだ。

僕も一時期さかさまに入れていた。が、ある時から元に戻した。何故か。この、「飛び込んでくる」ニュアンスに疑問を抱いたからである。

自分がお札になったと思って、具体的にイメージしてほしい。

あなたはお札。どこかの誰かの財布に入る運命にある。しかし、自分の意思では入れない。誰かに入れてもらうしかない。そういった境遇に置かれたとしよう。頭から突っ込まれて嬉しいだろうか。財布に入るごとにヘッドスライディングをさせられて、さかさまにつるされて、それでまたお財布の中に入りたいなんて気持ちになるだろうか。そもそも、頭から飛び込む状況なんてこれまでの人生で何度あったかわからない。火事になって、後ろから猛烈に火が迫っており、いち早く窓からおりたいときにだって、落ち着いて足から降りないと怪我をするのは自明である。生き残りたいなら足から降りる。鉄則だ。なのになぜお札には頭からの飛び込みを強要するのだ。だからお金が委縮して、財布の中に飛び込んできてくれないのだ。お札だって足からゆっくり入りたい。そう思っている。水風呂だってそうだろう。脱衣所から浴場に入った直後に水風呂にダイブしてみなさい。心臓びっくりしちゃう。温浴して、サウナ入って、ゆっくり水風呂に浸かる。これが流れってものだ。

皆、お金の意思を考えない。自分がさもお金の支配者だと勘違いし、頭からお財布に突っ込む。そうではないのだ。お金の気持ちにならないといけない。優しさを持って、お札を足からゆっくりお財布のなかに突っ込んであげなければならない。

かねがね、そう思っている。