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徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

もう僕は文章を書かない

この間、「広報に使う文章を書いてきてね」と言われ、こんな調子でパタパタキーボードを叩いて、流暢な日本語を披露したつもりが、「全くもって趣旨に合わない死ね」的なニュアンスを途方もないオブラートに包んだ言葉で蹴散らされ、結果上司の口上を流暢なタイピングで書き写して、自分の思念が髪の毛一本も入り込む余地のない、のっぺら文章を提出することとなった。

広報用の文章。確かに会社の看板を背負っての文章であるから、自由がきかないのは分かる。僕の失敗は上司の失敗で、それを未然に防ぐ意味も分かる。今は価値観養成の期間であり、商売をしたり世の中を渡っていくにあたってのコンパス作りをしているのは事実だ。如何ともしがたいもどかしい感情を、自分の自由がきく立場になった時に晴らせばいい。わかる。わかる話だ。

しかし責任の取りようのない身分が、生暖かく気持ちいいようでひどく気持ちわるい。都合のいい時はこたつのように僕を包み、都合が悪い時は冷えたたまごを入れられた後のかけ蕎麦みたいな温い気持ちわるさを感じさせる。

どうせ文章なんて情報を伝えることしかできなくて、文体の差とか表現の差は伝えるときにどんな包み紙に包んで渡すかの差でしかない。面白おかしく伝えればPLAZAで買ったようなわちゃわちゃ包み紙になるし、真面目くさって伝えれば海苔屋さんとか仏具屋さんとかのかしこまった包み紙になる。本当に頭が良くて文章を書ける人は包み紙の種類をたくさん持っていて、内容物によりけりで包み紙を華麗に変えることができるのだろう。僕はまだ上司が納得する包み紙を用意できていない。というか、用意するのがひどく悔しい。

凪では船は進まない。風が吹いて波が立って、初めて帆船は進んでいく。のっぺら文章は風を起こさない。凪でも情報を手に入れてしまうようなモーター船を持っている人には勝手に情報を取っていってくれるが、興味のない人を振り向かせることはできない。広報用の文章なら波を起こしてなんぼなのではないか。どうせこっちに向かってきている船は来るんだから、そっぽ向いている船を動かさなければ広報の意味なんてない。だったら少しでも引っかかりがあって面白みを含んだ文章の方がいいだろう。違いない。

「わかったから、そういうことは偉くなってから言ってね」

おっしゃる通りです。