読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

「君みたいな人が育つなら子供を産んでもよかった。」

これほどの褒め言葉を僕は知らない。

今まで生きてきて、人並みの叱咤と奨励を受けてきた。

「よく頑張ったね。」「お利口。」「偉い。」「そんなんじゃ飯食えねぇぞ。」「考えながら動くことができないんですか。」「ふーん、それで?」「まだ終わってないの?」「説明できないっていうのは根本的に何もわかってない証拠だよね。やり直し。」

それこそ、数限りなく。

大抵言われて辛い言葉の方がよく覚えており、仮に走馬灯がラジオ音声のように聴こえてくるものだとしたらなかなか辛辣な走馬灯になるんじゃないかなと思う。


しかし昨日、表題の言葉をかけられた。仲のいいおばちゃんからである。

「あなたが好きです」よりも、もっとずっと強烈な言葉だった。多分僕はこの言葉をかけられたことを2度と忘れないだろうし、忘れたくないので書き記している次第である。

その人と相性がいいのは間違いないだろう。波長が似ている。だとしても、そこまで思ってもらえる自分でいられて自分が誇らしいし、何より両親・叔父叔母が良く育ててくれたと、小生意気ながら感謝をしたい。

卒業式や成人式なんかでは産んでくれてありがとうとか、お世話してくれてありがとうとかって感謝が親子間で交わされる。世の中的な節目に際しての感謝。ただ、あくまで世の中的な節目であるので、実感として伴うかどうかというと実にあやしい。僕自身、成人した時に両親や叔父叔母へのとめどない感謝が溢れてきたかといえば、嘘である。

今回は違う。赤の他人に、それも日頃から子供があまり好きじゃないと標榜している人に、君が子供ならよかったと言ってもらえたこと。これは全人格的な肯定だ。世の中が定めた節目は人格の肯定ではなく歴史の肯定であり、健やかな成長をさせてくれた感謝を親達には捧げる。人格を肯定された時のこの感謝は、価値観や人格を形成してくれた育て方に対する感謝だ。感謝に仕向けられたものではなく、湧き上がる感謝。


良き親、良き叔父叔母、良き親戚に囲まれました。かくも素晴らしきかな人生。