今さっき改行する余裕もない位に思いの丈を綴った文章を書いたのだが、その傍らのテレビではバトルシップというらしいなかなかお金がかかっていそうでありながら比較的しょうもない映画が流れていて、バトルシップ*1ってタイトルらしいのに世界の八割の人類がウイルスに罹患しているとかってよくわからないことを言っている。バトルシップなら大人しく宇宙船に乗ってドンパチドンドンやっていてくれればいい。
僕の意識から甚だ遠いところに映画はあるのだが、先ほど表題のセリフのやりとりが主人公とヒロインの間で交わされてからというもの頭の中がおかしくなってきている。
「やめてよぉ、任務中でしょっ…」「愛にルールなんてないだろ…っ」「んもぅ」
これはズルくないか。ダメだ。笑うしかない。それを言っちゃお仕舞よ感にあふれている。このセリフが許されるとなると、愛なるものはすべてを包括する理念であり、愛にルールが無いのであればすなわち世の中にルールなんてない。あらゆる規則の上位互換概念に愛があり、重ね重ね愛にルールが無いのだから、蔓延るルールは形式的なものに過ぎず、愛があればすべて許されてしまう。
「やめてよぉ、赤信号でしょっ…」「愛にルールなんてないだろ…っ」「んもぅ」
こんなパターンだって考えられる。多分横断歩道の向こうにヒロインがいたのだろう。彼は待ちきれずに走り出す。赤信号だというのに、自らの身の危険を顧みずにヒロインの元に駆けつける。警察が自転車に乗ってうろうろしていようと関係ない。何しろそこには愛があるのだ。警察の振りかざす道路交通法なんて愛の前には窮する。増水した河川と人間の関係のようなもので、圧倒的力の差をもってして駆逐していく。あらゆる人々、あらゆる規則が愛の前ではストップモーション。彼は悠々ヒロインとこの会話を交わす。
「やめてよぉ、就業時間外でしょっ…」「愛にルールなんてないだろ…っ」「んもぅ」
これはどうだろう。電通・三菱電機と、昨今の就労管理界隈はざわつきが激しい。だが愛の前では36協定も春の夜の夢の如し。たとえ残業してでも彼はヒロインに会いに行く。なぜならそこには愛があるから。ぶっちゃけサビ残なんてどうってことが無いのだ。だって愛があるんだもん。誰に何を言われる筋合いもない。これには労働基準監督署もだんまりを決め込むしかない。
「やめてよぉ、盛土してないでしょっ…」「愛にルールなんてないだろ…っ」「んもぅ」
小池都知事も云々…
眠いので寝ます。明日も仕事頑張ります。
一個前の文章の熱量はどこかに行ってしまった。悲しい。
*1:落ち着いてみたらザ・ラストシップってタイトルだった。