徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

咽頭焼き切れる

つまり喉がいたいということである。いよいよ来たかと、予定調和的なボス敵と対峙している気持ちである。常々喉は弱い。水槽をイメージしてほしい。4面が違う高さの壁に囲まれた水槽だ。そこに水を注いでいく。そのうち溢れ出す。どこから溢れるかというと、一番低い壁の面からだ。その壁こそ、僕にとっての喉だ。真っ先に解れる。

弊ブログでも数え切れないほどの喉記事が上がっているはずだ。「喉」でブログ内検索をかけるとゴマンと記事が出てくる。

 

扁桃腺がどうだこうだと小さい頃から言われてきたが、果たしてこれは扁桃腺なのだろうか。ただひたすらに喉が荒れやすいだけであり、扁桃腺が腫れているわけではないのではと思う。毎度同じような痛みに襲われるものだから、これが扁桃腺ですと言われてもそうですかと感じるし、扁桃腺じゃありませんでしたと言われてもそうですかと。

今でこそ自力で喉にシュッシュッする医薬品を仕入れてシュッシュッしているが、幼稚園とかの頃は知恵もなければ力もないので、親の対症療法に身を委ねていた。最たる療法が、ヴィックスヴェポラップであった。

僕はあれが本当に嫌いだった。ヴィックスヴェポラップ。胸にスースーする軟膏を塗って、息を吸うたびスースーして、喉と鼻によく効くらしいのだが、寝間着がベッタベタになって肌にくっつき、寝返りも打てやしないしなんなら僕はうつぶせ寝派なのでひたすらのヌルヌルを胸元で感じ、不快指数がうなぎのぼりの品物であった。こちとら生命の力がちょうど弱っている時点。普段は嫌がれるのだが、歯向かうのも面倒くさいものだから父も良しと思って息子の胸に塗ったくるヴィックスヴェポラップ。

僕はきっと子供ができてもヴィックスヴェポラップを塗ることはないだろう。自分がやられて嫌なことは人にしない。そう教えられてきたからだ。

 

喉痛い。余裕ない。