徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

洗濯をお任せするということ

実家初日。持ってきた洋服が持ってくるなりよれよれであることを指摘され猛烈な勢いで洗濯機にかけられ、ぐるぐる回された上にアイロンとアイロン台との板挟みにあったと思えば生まれ変わったように律儀な真人間のような状態に更生されてくるのを見つめると、今まで僕がやってきた洗濯はまるで意味のない水遊びのようなものであってこれこそが洗濯だったかと感動してしまう。洗剤の香りと柔軟剤のふわふわを洗濯物に若干付与するだけの洗濯は誰にだってできる。凍らないように窓辺に吊るされた洗濯物達はまるでラオニッチの髪の毛のごとく整然としている。全豪オープンテニスは面白い。

僕は普段、仕事・炊事・洗濯という名の水遊び・掃除を一手に手掛けるプレイングハウスキーパーなのだが、どれも中途半端になっている現状を見つめなければならないかもしれない。考えてみればお休みの日なんか午前中に買い出しと洗濯と掃除を済ませることに躍起になって、すべて予定通りにこなせた達成感で午後何もしない。同僚のお姉さま方から言わせると「とても偉いけど全くもって若さがない生活」を過ごしているのだが、もしかすると家事をアウトソーシングできれば僕の生活は一変するかもしれない。僕が持ち得るバイタリティの何割が家事でぶんどられているのだろうか。家事をあっぱらぱーにこなすことを覚えるまたは誰かに委託することに成功すると、猛烈に前を向いて勢い果敢に動き出し、大海のごとく揺蕩う世の中にチャプンと一波を起こすことだってできるはずだ。そうだ。家事が足かせだ。どうせ洗濯機を回したって僕が回した洗濯物は台風の後で主をなくしたビニール傘のようにくっしゃくしゃになって出てくるだけであり、パタパタさせてから乾かすも今ぶら下がっているような規則正しさを一向得ることなくまた僕の肌を隠す戦いに駆り出されるだけなのだ。お互いにとってデメリットだ。lose-loseの関係に終止符を打ちたい。

だが本当は東京での「偉いけど干からびライフ」にある程度の充足を得ているのは事実であり、生活リズムを変えたい欲求はさして強くなかったりする。バイタリティ吸い取られ人生は続く。今は英気を養う。