徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

僕たちは自然には勝てない。繰り返す。自然には勝てない。

帰郷三日目。順調にあいさつ回りに邁進しております。北国オホーツク、極東の地にて。

高校時代の恩師が理科専門のために天気図が読めるもので、彼独自調べの天気予報はyahoo天気以上気象庁未満の的中率を誇ると巷では噂である。ウェザーリポーター恩師と一昨日会った際、「明日の未明から明後日にかけて暴風雪になるよ、君はこのために帰ってきたんだね、仕事できるね、よかったね。」と嬉しいようで苦しいような労働宣告をされていたのだが、ものの見事に昨日の夕方から天候が荒れだし、夜のNHKの天気予報で「オホーツク海側は明日夕方までに60センチの積雪」なる最後通告を突き付けられたが最後、朝の光景は一面の大雪原であった。

風の中のすばる 砂の中の銀河

中島みゆきが歌った地上の星であるが、今朝の北見近辺に吹きすさぶ風の中には粉塵の如き雪が散っているのみであり、すばるは間違いなく含まれていない。すばるって何なのかよくわからないけど、すばるだけはない。上から降っている雪か下から巻き上げられた雪か、 甚だわからないまま二車線あった道路は吹き溜まりとなり一車線に狭まり、平らだったはずの台地に丘陵を作り上げる。なに、公園とか空き地に丘陵が生まれる分には全く構わないのだが、玄関の前とか車の前とかに率先して積りよるからほんとふざけんな雪ふざけんな。

田舎の朝は早いもので、父は6時半に雪の中へ消えてゆき、僕は8時前より父が何とか出勤していった後のハウスキーピングに繰り出した。父が車を出してから一時間半、父が通ったはずの轍は消えており、やはりそこには一面の銀世界が広がるばかりであった。スノボ用のダウンにズボンを履き、ミシュランのイメージキャラの如きもこもこルックスが黙々と銀世界に挑む。ママさんダンプ、スコップ、クジラスコップ。雪かきにおける三種の神器を駆使し、雪原をかき分ける。お分かりいただけるかとは思うのだが、雪かきは全身運動である。雪を投げる時に足腰腹筋をうまく連動させない事には雪山の上に乗っからず逆に雪が中途半端に風にあおられて飛び散り、余計に散らかる羽目になる。だから雪を丁寧にぶん投げる必要があるわけだ。全身運動で火照る身体からは汗が噴き出るが、外気はマイナス10度なので指先などの末端は冷え切る。極地を赤道が同時に体の中に存在する不思議体験ができる。熱い!寒い!熱い!と夢中になって雪かきに邁進し、ふと後ろを振り返ると、かき分けたはずの雪原がまた雪原になっている。原状復帰の能力が高すぎやしないか。僕は雪かきを諦めた。市の除雪車が来るのを待っている。

 

雪かきをしながら、東日本大震災における原発事故において、果たしてあれは天災か人災かといった議論が巻き起こったことを思い出した。確かに、対応や予防など諸機能がうまく働かなかった面もあるだろう。その点では人災なのかもしれない。しかし一度、北見に雪かきに来てみるといい。山のような雪を崩したと思ったらまた後方に山が出来ているのだ。自然とのどうしようもない力の差を思い知る。勝てっこない。都会ではうまく自然の力を抑え込んで自然と共生している(むしろ自然をコントロールしている・勝っている)気になっているが、そいつは気のせいである。天災から引き起こされる不具合を人災と置き換えるから、テクノロジーが進歩していく面はあろう。ある種自然と切磋琢磨出来ているのかもしれない。でも基本、勝てない。自然には勝てない。自然の掌の上で踊るしかないのだ。雪かきで精も根も尽き果てた後の所感であった。

にしても身体がなまった。鍛えなおさねば。