徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

勉学もとい、勉が苦

眼前に迫った問題が大きければ大きいほどミジンコみたいな興味関心に心惹かれてしまうのはノミよりもちっぽけな自制心が見事に機能していない証左であろう。僕は今とんでもない泥沼にはまっていっている。

試験なるものを受けるのは大学の頃以来だ。それも会社に金を払ってもらってという、全面協力の元での受験。やはり、人の意思は自ら選び取った上に痛みを伴ってこそ、十全に現れる。こんなおんぶに抱っこに肩車に乳母車のようなぬるま湯万歳エンバイロメントなんかでは意思なんてもんはふやけ切ってしまう。ビスコを半年くらい口に含んでたらこんな風になるだろうなっていうくらいのぶよぶよ具合だ。

そもそも、こちとら連休中帰省して夢見心地で生きていたというのに突然眼前に試験がそびえ立っているのがおかしい。異議申し立てしたい。計画的な学習ができていないと言われてしまえば僕は黙って頷くほかない。しかし計画的業務を推進しろ推進しろと言いながら資料と無茶振りの礫を投げつけてくる会社から何を言われたところで説得力がないってものじゃないか。どうだ。互いにブーメランを投げ合い、傷つけ合う不毛な削りあいの構図である。醜い争いだ。

脳みそストップしながら親指を動かしている間に、僕の砂時計の砂は刻一刻と減り続けている。とめどなく流れるそれは、行く川の流れは絶えずして云々と鴨長明のいう通りのそれだ。フォローしたくなる。

勉強します。今から、これから。