徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

寒い夜に上京の寂しさを思い出す

上京。

18歳の僕はポーンと1人東京に飛び出し、暮らしをスタートさせた。主に所属する団体とはうまく馴染めなかったので、最初の一、二年はだいたい何してても寂しいし苦しい日々であった。身寄りがないわけではなかったが、そこまで強い繋がりがある身内なわけではなかったので負んぶに抱っこをしてもらって寂しさを紛らわすこともできず、当時80歳だったアパートの大家さんとファミレスでお話することが当面の楽しい時間であった。

人混みであればあるほど人と人との距離は遠く、一人一人の重みは軽くなる。人の中に入っていくほど逆説的に1人を痛感させられたものだった。

僕は焦っていた。東京は楽しいものというのが定説で、大学から近い家はたまり場になるはずだったのに、全くそんな様子もなく過ぎていく1人の日々に焦燥を抱いていた。同時に、これまでの人生で培った人付き合いのメソッドを完膚なきまでに叩きのめされ、変なヤツと言われることが恐怖だった。嘆いていい人にはいいだけ嘆き、強がりたい人に対しては一生懸命に強がった。なんとかしたかった。なんとかして東京を好きになりたかった。楽しいだろうと言われて、苦笑いを噛み潰して笑顔を作る、そんな自分が嫌だった。

僕は罵声でも唾でも吐いて散らかしてやりたかった東京も、誰かの故郷なんだと思うことにした。故郷はどこまでも優しい。北海道から出てきた自分が一番よくわかっていた。だからこそ、この街もあの景色も、嫌いな東京のあれこれにだって必ず優しさがあるはずだと信じた。いろんな路地を曲がった。生活の臭いがプンプンする知らない通りを自転車で駆けた。初めて通りがかった定食屋に入ってマスターと喋ることで、人が人として存在できる喜びを感じた。それは人混みにおける人間の軽さとは全く違っていた。故郷は確かにそこにあった。

薄く細かい幸を繋ぎながらもがき続けるうち、否応無しのコミュニケーションとかにより少しずつ東京での自分の立ち位置が定まってきた。ぐずぐずだった心のくすみを、少しずつ時間が洗ってくれた。なかなかあの日々を良しとすることはできないかもしれないが、当時赤の他人の故郷だった東京を、今なんとなく自分の故郷っぽい顔をして生きることができている。そしてきっと東京に出てきた誰かの気持ちを参らせる側の人間になってしまっている。

居場所が定まるまでの東京は、僕たちを根無し草になったような気持ちにさせるが、居場所が一度定まると東京独特の匿名性が気持ちよく思えてくる。人が人を呼び、匿名が匿名を育てていく。幼い頃に暴力を受けた親が我が子に暴力を振るってしまうように、僕らも上京したての他人に寂しさの刃を突きつけてしまうのだ。それも、無意識のうちに。

品川にて、スーツケースを転がした人が電車に乗り込んでくる。行きの道か、帰りの道だろうか。もうすぐ春が来る。東京にはたくさんの楽しさと寂しさが芽吹くはずだ。たくさんのスーツケース達が楽しさを最初に感じられたらいいと思う。寂しさを飲み込み切れたらいいとも思う。田舎者の集合体が都会の仮面をかぶっている街、東京。誰も彼もが匿名を決め込む根底に寂しさが流れていれば、それをお互いに汲み合う事ができれば、どれほど皆が生きやすい東京になるだろう。

今日は冷える。月もまた綺麗である。