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徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

迎合の人生を行く

社員食堂にて、知り合いのお姉さまがお一人で休憩をなさっていた。比較的とっつきやすいお姉さまだったもので、躊躇なくご一緒させてもらった。たわいもない話をした後、彼女は休憩から戻って行った。

その様子を見ていた同期の友人が僕のところに寄ってきた。彼に映った僕は、とっても下手に出ていたようだった。ある種機嫌を取っているような、ある種の滅私のような。全く無意識に会話をしていたので、なるほど日々の僕の会話はそのように映るのかと参考になった。

人と会話をするとき、相手の土俵で会話を進める人と自分の土俵で会話を進める人の二つのパターンがあるように思う。自分の話をすることが多い人・人の輪の中心にいる人はどちらかといえば自分の土俵で会話を進めるタイプだろうし、聞き役に回ることが多い人・人の輪の中でガヤ入れをすることが多い人は相手の土俵で会話を進めるタイプだ。たいていの人は使い分けていると思う。よほど不器用でなければ。ただ趣向として、どちらを好むかは分かれる。

お判りになるように、僕は率先して人の土俵に上がるタイプである。自分がふんどしを履いていても、相手が竹刀を持っていたら迷わず自分も竹刀を手に取る。無理矢理ハッケヨイすることはほぼしない。何故って、特にこれといった理由があるわけではないのだが、そうしなければ生きてこられなかったか、そうしていた方が生きやすかったのだろう。

なんやかんやでみんな喋りたい気持ちを持っている。僕も君もあなたも彼も。だから相手に話をしてもらってこちらが相槌を打つスタンスを取ると、なんとなく相手は満足する。また話したいと思ってくれるかもしれない。ともすれば一緒にいて楽なやつとでも思ってくれるかもしれない。聞き役にはそんな良さがある。と、思っている。

高校受験するとき、歴史も何にも知らなかった僕は将来どうなっていたいかと言われ、教科書に載りたいと話した。坂本龍馬みたいに!現状なんのことはないサラリーマンなのだが、なるほど薩長を引き合わせるにはやはりお互いの土俵に上がらないことには受け入れられないのではないだろうかと思い当たる。志した人間付き合いの道は間違いじゃなかった。迎合していると言われようと。後は大きな大義があれば教科書認定待った無しだろう。うむ。