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徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

電車で隣になった人がいつも英語の勉強をしてくれていたのなら

隣の芝は青いではないけれど、電車で密着した人の読んでいる本や新聞は何故だかとても面白そうに映る。スマホいじっててもそこまで魅力的には思えないのだが、紙媒体で勉強とかされていると興味がそそられて仕方がない。

早急に必要な学力はない。商売をやっていく上でそれとなく数字が見られたり世の中を渡るバランス感覚を養ったりといった勉強は必要だろうが、TOEIC何点!とか、フィナンシャルプランナー何級!とかっていう具体性のともなった勉強を突きつけられてはいない。この間まではのっぴきならない勉強があったのだが、喉元を過ぎてしまった。なんとか捻出していた勉強時間がふわっと浮いた今、学ぶ時間をつくれることはわかっている。やるかやらないかは自分のさじ加減1つ。

弁当作りが続いているように、苦にならない範囲で1日30分ほどの時間を何かに充てるのはおそらく苦にならない性格だ。問題は内容である。英語〜なんていう程よく雲をつかむような勉学じゃきっと続かない。本当に実になるものか、本当に知的好奇心がくすぐられるものでなければならない。

二の足三の足を踏んでいるうちに時は経つ。YouTubeをぼんやり見ているうちに夜が更ける。空っぽの時間ばかりが生産されていく。そんなんであれば電車で近くの人が延々と英語でも学んでくれたらいいと思う。絶妙に興味をそそられる他人の勉強に引き摺られながら学んでしまいたい。

他力本願とは、このことでしょうか。