徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

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社会のルールを知らずに生きる怖さ

似たようなことを以前にも書いたかもしれないが再掲する。

野球を見て面白いと思うのはなぜだろうか。それはボールが遠くに飛ぶからとか速い球を投げるからとか横っ飛びとかしながら捕球するからではない。野球のルールをわかっているからだ。ピッチャーがマウンドから球を投げる。目掛けるのはおよそ18メートル先にて構えるキャッチャー。傍らには敵チームのバッター。バッターに向かって広いグラウンドが広がっており、ピッチャーとキャッチャーを除いた7人の野手が守備をしている。バッターは野手に取られないところにボールを打ち返せばいい。ただ、ホームベースの延長線上にあるラインを外側に逸れた所にボールが飛ぶとファールとなってしまう…

なんだ、書きながらややこしいルールに辟易としているのだが、さすが国民的スポーツということで誰もがある程度野球のルールを知っている。だから、野球は面白いと言われる。サッカーもそうだ。手を使わないという基本的なことから、オフサイドの意味、ファイルの意味、各々の選手の役割。それぞれが社会通念かのごとく知られている。対してワールドカップで大活躍する以前のラグビーなどはルールがとにかく知られていなかったから視聴率も上がらなかったし、マイナーなスポーツとされていた。

ルールがないとめちゃくちゃになるし、ルールを知らないと面白くもなんともない。僕達は無意識にルールを知っているものに目を配り、それ以外のものは見えてる気でいて目を向けていない。

さて、そこでである。社会の真ん中で、片隅で、一生懸命だったりのんべんだらりとだったり生きている。でも、大抵の人は社会のルールをよく知らない。これがどれほど恐ろしい事実か。

社会のルール即ち法律だ。商売のルールは商法だし、刑罰のルールは刑法。散歩するにも道路交通法が目を利かせている。文学部のあんぽんたん学生だったから他にどういった法律があるやらわからないのだが、僕らの一挙手一投足は法律というルールに沿った形でしか動かせないことはなんとなくわかっている。ただ、その内容を知っている人は多くない。士業の法律屋さんくらいなものだ。

つまるところ、大半の人々は社会のルールを知らないまま社会人として社会で生きている。野球のルールを知らないままプレーするのと何ら変わらない日々を送っているのだ。

野球を楽しむにあたってルールブックの隅々まで把握している必要はない。アウトラインだけ把握しているだけでも十分に楽しめる。僕だって対してルールに詳しくないが面白く観戦できている。でも、こと法律に関しては七割方の人がからっきしわからないままだろう。だからルールに詳しい審判的役割の弁護士さんや税理士さんたちが重宝がられる。彼らにとっては当たり前のようなことを僕らは「今の何!?」「今のどういう意味!?」「ここにボール落ちたんだけどどうすればいいの!?」といちいち審判に聞きながらプレーせざるを得ない。それも多額のお金を払いながら。

もちろん世の中適材適所であり、これから法律のエキスパートになろうとは思わないし思ってもきっとなれない。手に職がないなりに商売をしながら生きていくのがきっとこれからの僕の人生だ。判断に困る場合などは専門家に判断を仰ぐべきだろう。しかし、観戦するに最低限知っておくべきルールがあるように、生きるのに最低限知っておくべきルールもあると思う。何をすれば得点できるのか。何が反則なのか。少なくともそのあたりの基本的な情報はルールブックを見ずとも、審判に確認せずとも判断が下せるようにならなければならない。そうありたい。なにしろ無知は恐ろしい。ルールの上でルールを知らないまま生きて、知らずうちに反則を犯して退場を宣告されることだってあろう。搾取の対象にだってなり得る。

日本語しかしゃべれないし、プログラムを書けるわけでもない。よくあるサラリーマンを生きている。これからの世の中を渡っていくには、いささか不安な心許ない武器しか持ち合わせてはいない。学ぶべきところは多いが、まずはルールからかなぁと考えているところである。