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徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

ご飯にする?お風呂にする?それとも…あ・た・し?

真剣に考えてみよう。

仕事終わり。僕は疲れて家のドアを開けている。日がな一日働き、帰宅ラッシュに巻き込まれながら帰ってきた。汗ばんだ身体を空腹が満たしている。足はどんより重く、面倒くさいに塗れた状態だ。ドアを開けたら女性がいる。妻か。彼女か。複雑な関係か。関係性は置いておくとして、目の前には出来上がったご飯と温まったお風呂。スタンバイ完了である。

そこで女性は訊いてくる。

「ご飯にする?お風呂にする?それとも…あ・た・し?」

女性からすると、「あ・た・し?」と自ら開示している辺り、相当「あ・た・し」をチョイスしてほしい気持ちが垣間見える。「蕎麦にする?うどんにする?それとも…ラー・メ・ン?」と上目遣いで言われた日には、ラーメンを食べさせてやりたい、いや、ラーメンが食べたいと思うだろう。同じ論理である。

女性は「あ・た・し」推しだとしても、こちとら働いて帰ってきているわけだから一考の余地がある。「あ・た・し」の魅力は言わずもがなであるが、空腹ものっぴきならない。温かいご飯があるならご飯がいいんじゃないかな。そんなふうに思う。まずは苦しいスーツを脱いで、部屋着に着替えて、さっさと飯を食いたい。飯を食ってからその後のことは考えよう。着替えて座ってご飯を食べる。するとどうだろう。ただでさえ面倒くさいに塗れていたはずなのに、面倒くさいがどんどんと自分を支配してく。面倒くさいに溺れる。風呂…いっかな、もういいや、風呂。明日の朝入ればいいし。風呂はもういいや。テレビをぼんやり見る。ウトウトして、いかんいかんと寝に行こうと思う。「あ・た・し」と布団に入る。ゴロゴロする。「あ・た・し」タイムが静かに幕を上げる。

なんとなくわからないでもない流れではないだろうか。得てして風呂は優先順位レースで下位に押しやられる。何故か。それは「ご飯にする?お風呂にする?それとも…あ・た・し?」には生命が抗いようのないトリックが隠されているためである。

大層なことではない。「ご飯」と「あ・た・し」は生理的欲求であり、「お風呂」は生理的欲求ではない。この差がベルリンの壁の如く前者と後者を隔てている。帰宅時、僕たちはとても脆い。意志の力が最も低下している時間帯であるため、生理的欲求に打ち勝つのが難しい。その上一つの生理的欲求が満たされると立て続けに生理的欲求が湧いてくるので、すぐ眠くなったりしだす。結果、風呂にも入らないで不潔ナイトを過ごしてしまうのだ。

ほんの少しの意思でいい。ほんの少し、「ご飯にする?お風呂にする?それとも…あ・た・し?」の瞬間に、「お風呂」と答える意思を持てば、その後の行動が至極楽になる。生理的欲求に身を任せても全く問題なくなる。給食時間に嫌いなものを最後まで残した挙句、食べるまで昼休みをお預けされた経験を持つ人は多いだろうが、あれも全て嫌いなものや面倒なものを先延ばしにする悪しき習慣が引き起こす業だ。気合い入れてスパッと済ませてしまえば、幸せかつ充実したその後が開けている。

でも、でも、でも。わかっていてもできないのが人間の可愛いところでもある。さあ、今宵僕はこれからシャワーを浴びるのだろうか。全く持って自信がない。