徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

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母の誕生日

今日は母の誕生日だ。めでたい日である。

間もなく数年後には十干十二支が一巡しようとしている母。元気である。親の不調を子供がどれだけ気にするか知っているのだろう。元気じゃなくても元気なふりをしてくれている。誰も知らないところで生まれて消えた星は最初からなかったことになるように、気が付かなければ起こっていないのと同じなのだ。

しかしいよいよ、両親が健康でいてくれることが嬉しい。元気に働いてそれなりに疲れている話を聞くと安心をする。多少のデコボコは大いにあるらしいが、子供には感情的にもならずに淡々としているものだから、本当はどの程度しんどいのか計り知れない。風邪を引いたら喚き、怪我をしたら震え、不満を抱けば言葉で殴りつけるしかできない僕のような浅く小さい人間にはできない芸当である。立派だなぁと思う。

親となり、伯父となり、伯母となり。そうして育つ何かが必ずある。SMAPが歌った「らいおんハート」には、

いつかもし子供が生まれたら 世界で二番目にスキだと話そう

という歌詞があり、配偶者への尽きない愛情を間接的かつ強烈に伝えているが、この手の愛情と次の世代への愛情は根本から違う。別ジャンルの一番同士と考えたほうがいいだろう。惚れた腫れたの愛情は構って構われての関係になることが多い。お互いをお互いに心配し合う。気に掛け合う。添い遂げる愛情。でも、子供たちへの愛情は気をかけさせないことを良しとした愛情である。子どもたちの行く道を整備し、その道に没頭させることで自らも満足する。見守る愛情だ。

両親をみていると、自分が親にならない限りはああいう心持ちにはなれないんだろうなと思う。僕の生きる道を整えてくれて、親に振り回されることもなく、親にとらわれることもない人生としてくれて、本当に感謝をしている。そうなりたいとも思う。

あらためて、誕生日おめでとう。めでたい日であった。