徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

鼻をほじらないことが何よりの健康法ではないだろうか

僕は鼻をほじるのが好きだった。鼻くそ(以下、例のそれ)はホコリを吸い込むたびに溜まる。鼻の粘膜を塞ぐ例のそれを取り除いたときの清涼感と爽快感はフリスクスーパーハードを大量摂取した感覚に酷似している。やみつきになる。

そういうわけで幼い頃から鼻をほじりたがった。人目をはばからなかった頃も合ったし、自我が芽生えて人目をはばかる様になってからも誰もいない廊下をとかを歩きながら鼻をほじった。そして生まれ変わった鼻腔にて最初に吸い込む息の清々しさに心を震わせた。世の中にこんなに美味い空気があるのか!遠足の写真かなんかで決定的瞬間を激写され、全校規模で極めてプライベートな鼻ほじりタイムを晒し上げられたことも合った。誰よりも親が悲しんだ。

時を同じくして、僕は毎年2回3回と風邪を引いては学校を休む子だった。休むほどでもない体調不良は非常に多かった。身体は大きかったが、強い子ではなかったと思う。

その原因が鼻をほじる行為によるものではなかったろうかと、今本気で思っている。

鼻の穴。即ち粘膜である。喉にウイルスが付着したら風邪をひく。これは自明だ。だが喉の奥に直接何かが触れることはまずない。口呼吸とかをして、飛沫状の菌が喉にやってくる。しかし、鼻の穴は触れられる粘膜である。泥だらけの手、菌だらけの手。これらで鼻をほじってみろ。毒の侵入を快く許しているようなもんである。素手でなくとも、ティッシュを一枚噛ませていても大して差はない。風邪待ったなし。

僕は大人になり、ある程度鼻をほじるタイミングをコントロールできるようになった。相変わらず鼻をほじった直後の清涼感・開通感は大好きであるが、TPOはもちろん衛生状態も加味して鼻ほじタイムを設けるようになった。それからと言うもの、劇的に風邪を引く回数が減ったように思う。粘膜が守られている。そんな感じがする。

ホントはこんな恥ずかし告白をブログなんていうパブリックスペースでしたくはなかった。が、衝動は止められない。思い立ったら書かざるをえない。

穴があったら入りたい。