徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

終電

何度お世話になったかわからない。「この電車、〇〇行きの最終電車となります…」耳にイカができるほど聞いた文句である。たいていこの文句のあとには、「この電車、車庫に入る回送電車となりまーす」みたいな文句がセットで付いてきて、車掌さんが血眼になって残留顧客を探しては摘発して匿うとか放り出すとかしているらしい。ご苦労様です。

「終電だから帰りなさい」「終電だから帰ろうか」「終電だけど…」現代日本史において、終電がアシストしたドラマがどれだけあったことか。終電なら…と思わせるだけの魔力と辻褄が終電に秘められている。それは偏に、今までの僕らの生活がどれだけ終電に支配されていたかの逆説でもある。

首都圏四方八方に張り巡らされた路線と駅。今夜のうちに最寄りの拠り所にたどり着けないことには即ち夜を明かすことを意味する。緊張と緩和が笑いを産むように、家に帰れるか帰れないかのデッドオアアライブも同じく緊張と緩和を産む。終電が迫り行くヒリヒリ加減と、逃してからのパッパラパー加減の差異は自明のことだろう。

逃してほしい夜もあれば、逃したくない夜もある。極めて我儘で身勝手な理由たちに彩られ、様々な夜は明けていく。

今宵、明けていい夜が明けていく。でも、酔いのせいで少しだけ切なくもある。明日の夜も、明後日の夜も、そのまた向こうも酒が待っているのは知っているのに、目の前の今日この時が恋しくて仕方なくなる。なぜだ。わかっているんだ。酒の魔術、酔いのまやかし。日本語の達人に今宵を託したらなんと表わそうか。伺いたいものである。