徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

稀勢の里が勝てた理由とは

稀勢の里が13日目に負った怪我を押して土俵に上がり続け、優勝を果たすというなんともドラマチックな出来事が起きた。それも横綱になりたての場所でである。事実は小説よりも奇なり。籠池も言っていたから間違いないだろう。

13日目の取組後、誰もがこれはダメだと思った。痛がり方が尋常じゃなかった。稀勢の里はなんとも無骨な力士である。彼は場所前の稽古中に眉の上を12針だか縫う怪我をしているのだが、「こんなん怪我のうちに入らん」って、いつもの不敵な笑みを浮かべ続けていた。その稀勢の里がのたうちまわって動けないほどの痛みとはなんぞやと。筋肉か腱かが昇天してでもいないとあんなに痛がらんぞと。それまで優勝戦線の戦闘を走っていた稀勢の里だったが、大関時代の惜しい流れを彷彿とさせる嫌な負け方であった。案の定14日目も鶴竜にあっさり寄り切られ、千秋楽も気迫で土俵入りするけど負けるだろうムードが場所中を包んでいたはずである。

でも勝った。

一敗の照ノ富士に土をつけて2敗で並び、優勝決定戦で再び照ノ富士を叩きのめした。仕事で見られなかった。悔しい。

稀勢の里は勝利後の優勝インタビューで、自分の力以上のものが出た。見えない力が働いた。と、やはり籠池じみたことを言っていたのだが、こればっかりはそう感じる人が多いと思う。政治力でも八百長でもない、何か不思議な見えない力が勝たせてくれたと。

でも僕は思う。稀勢の里は多分照ノ富士を蹴散らせるくらいに強いのではないか。段違いの力を持ってして、ねじ伏せたのではないか。

大したレベルで競技をしていたわけでもないし、まして格闘技とはかけ離れた横並びかけっこの世界で生きてきた。10年間の競技生活では奇跡の優勝の場面に出くわすことも度々あり、その度口々に、「気持ちが強い」「気迫で走った」と評したものだった。

気持ちを強く持てるのはそもそも強いからである。そのレース、その相手に、怪我している状態では勝てないかもしれないと一瞬でもよぎった時点であっさり負ける。万全の状態だと一蹴できる相手と手負いで闘って五分五分で、そこに気持ちが乗っかって押し切るのだ。気持ちの勝利のように見えて、まごう事なき実力をもってしての勝利。メンタルも強いが、比ぶべくもなく圧倒的なフィジカルが存在している。


稀勢の里は本当に強い。多分ものすごく。早く怪我を治して、憎まれ役にまで駆け上がってみて欲しい。でもきっもそうは簡単にいかないのが稀勢の里で、それが魅力なんだ。