徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

カラオケで履歴を見る現象

歌本から曲のコードを探し出し、めちゃくちゃ反応の悪いリモコンを駆使して曲を入れていた頃から早数十年。世の中のカラオケはデンモクなる液晶パネルのリモコンに支配され、採点やらなにやらが多彩に選べるようになった。

その中の機能として、履歴というものがある。デンモクから送信された曲を1000曲くらいデンモクが記憶していて、僕たちはそれを見ることができるのだが。

何を参考にしたくて見るのかわからない。どうしても見てしまう。

履歴を見てわかるのは以前この部屋を使っていた人がどんな趣向の曲を歌っていたかくらいなものである。歌謡曲の塊、アニソンの塊、EXILEの塊、SMAPの塊。ゴソゴソと登場する部屋の使用人の趣味趣向。あ、ここから人変わった。ってのが一目瞭然だ。

でも僕らはそんなもの見たくてカラオケに入ったのではない。歌いたくて入っているはずなのだ。しかし見てしまう履歴。

どうせ無難な選曲を他人のセンスに頼っているだけだ。自分では開けられない曲の引き出しを、誰かが入れているという安心感を持ってして入れたい。ただそれだけなのだ。1人じゃ入れないような歌を履歴に引っ張られるようにして歌う。どうせうる覚えでグダグダになる。わかりきった挑戦をして砕けちってもなお、履歴を見続ける。結果、それまでの履歴がミックスされたような履歴が残っていく。趣味趣向の全く見えない、のっぺらぼうの履歴を参考にする人はなく、履歴の海に沈んでいくのであった。