徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

映画「イミテーション・ゲーム」感想 僕は生き方を見直しました

Amazonの有料会員、Amazonプライムにひょんな事から入会しており、プライム会員特典で、映画が見放題というので、なんか評判良さそうな映画を拾って観た次第である。

 

 

あらすじであるが。

時代は1920年代〜1950年代。第二次世界大戦近辺のイギリスでの話である。1939年に開戦した戦争は世界を巻き込んでおり、ことヨーロッパではナチスドイツが猛威を奮っていた。ドイツ軍躍進の原動力となっていたのが暗号生産機「エニグマ」。一度は名前を聞いたことがある方も多いだろう。「186×10^18」だか、途方も無い数の暗号パターンを有する難攻不落のマシーン。それも毎日暗号のパターンが変わるらしく、対症療法的な行き当たりばったりの暗号解読では全く手に負えない状況であった。

いつの世も戦争は情報戦だ。どこに戦艦があり、Uボートがあるのか。GPSの無い世の中では飛び交う信号が情報の全てであり、傍受するのは容易くとも解読するのが難しいそれのせいで、ドイツ軍の動きが掴めないままに欧州諸国は劣勢を極めていた。

エニグマを解読しないと勝てない。イギリス軍は学者筋をあたり、数学やチェスなど、様々な分野の第一人者を集結させたエニグマ解読プロジェクトチームを作る。その中の1人が主人公のアラン・チューリングである。彼は天才に相応しい卓越した数学の力とパズルの力を有していたが、コミュニケーションはからっきし取れない人間であった。

ものすごい勢いでプロジェクトチームをギクシャクさせまくるチューリングであったが、能力は抜群であり、対症療法的な解決のさらに先、どんな暗号でも対応できるようなコンピュータを作成する方針を立て、邁進していく。最初は先進的すぎて誰も理解も得られないものの、やはり天才同士理解が早いようで、しばらくするとチームの雰囲気も最早エニグマ解読への道はチューリングの案しかないって状態になる。途中、なかなか結果の出ない現実にやきもきしたイギリス軍の中佐だかが、ブチ切れてコンピュータを止める暴挙に出たりするものの、プロジェクトチーム一丸となって開発に邁進した結果、様々なところからヒントが舞い降りてきて見事エニグマ解読に成功する。やったね!

エニグマは読めても、ここからが問題であった。

エニグマが読めたことをドイツ軍に悟られると、ドイツ軍はまた新しい暗号機を作る。いたちごっこは終わらない。戦争が長引く。だったら、エニグマの情報を垂れ流させた上で、戦争を終結に導いていくのが平和への1番の近道ではないか。イギリス軍とプロジェクトチームの総意であった。

しかしそれは、助けようと思えば助けられる命を見捨てながら、戦争の終結という大義に向けて邁進する道。人命と平和とを天秤にかけ続ける行為だった。苦しみが伝わってくる。

かくして、イギリス軍は勝利。エニグマ解読よってドイツ軍を掌の上で転がしたことで、戦争の終結は2年以上早くなっただろう言われているようだ。解読の原動力となったアラン・チューリングの名は機密事項として扱われていたが、戦後70年、ようやっと日の目を見た。そんな物語であった。

 

時を同じくして、僕はたまたま「七つの習慣」なる自己啓発書の概要にさらっと触れた。数年前から流行りだした考え方であり、スティーブン・コヴィーなる人が概念の提唱者である。物事の本質を掴んで、最大の効果を生み出して行こうぜ!みたいな内容である。多分見る人が見たら張っ倒される紹介だろうが。

その中で、コヴィーは時間管理・タイムマネジメントについて強く言及している。

忙しいことを求めていないか。忙しさにかまけて本当に必要なことをおざなりにしていないか。緊急の出来事よりも、重要なことを重んじるタイムマネジメントをすれば、自ずと緊急の対応が減ってくるだろうと。つまりは、転ばぬ先の杖を作りまくってスイスイ進もうぜ!みたいな内容である。多分見る人が見たら張っ倒される。

 

喫緊の課題より、本当に重要なこと。

イミテーション・ゲームにおけるチューリングの話に戻るが、彼らはエニグマ解読後、いたずらにイギリス軍を救いはしなかった。助けられるはずの命を見捨てながら、絶妙な采配によってドイツ軍に勘づかれることなく、戦争の終結という本当に重要なことを見据えてオペレーションに取り組んだ。

思えば、エニグマを読みきったコンピュータである「クリストファー」の作成を始めたころのチューリングもそうだった。膨大なパターンの暗号をしらみつぶしに解読して、その日暮らしの解決を求める(短期的にはめっちゃ仕事した感じになる)のではなく、恒久的に読み切るマシーンを開発(時間かかるし結果はなかなか出ない)を優先した。結末は上記の通りである。

 

イミテーション・ゲーム」から、生きる上での大切なヒントを得たように思う。忙しく働いたような気がして使われる人生では結局何も得られない。うまくもいかない。しっかり考えて、数歩先の人生を今生きる。豆のまま食べてその場しのぎの腹を満たすのではなく、花を咲かせて、実をならせて、ずっと満足できる道を模索する。

言うが易しの世界だ。目的を見据えて、愚直に目指すなんて芸当、簡単にはできやしない。何しろ目標物が正しいのかもわからないのだ。富士山だと思って登ってみたけど全然違う山だったりする可能性もある。しかし、目標があるから反省が生まれる。富士山に登りたいって思わないと、次こそは富士山に登ろう!って気持ちも芽生えない。登って降りて、正しい山を目指す。チューリングみたいな天才は一発で登るべき山を見定めて邁進するが、我ら凡人は繰り返しながらやっていくしかない。努力して、たくさん登ったり降りたりして、より良い山を目指す。結局富士山に巡り会えなかったとしても、目標を掲げ、それにまつわる大切なことを見定めて、アタックを続ける。

 

ノーアイディアで生きるのはやめようと思う。考えを止めるのは簡単だし、将来を見据えるのは恐ろしいが、突っ込んだ先が泥沼かどうかくらいは知っておくべきだ。うまくいけば、泥沼に突っ込むことも避けられるかもしれない。

脳みそが熱くなる映画と出会えて、心底よかった。