徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

泥つき里芋を想像してください。

近くの八百屋で泥つき里芋が2パック100円で売られていた。トルコリラの次に泥つき里芋の相場がわからないのだが、なんか安いアピールされているし、100円だし、家にこんにゃくと玉ねぎはあるから人参も買っていって煮物でも作ろうと思い、2パック買っていった。1パックの大きさは大体信楽焼の狸の睾丸袋くらいなものであった。大きいんです。

颯爽と野菜を切り、最後に里芋をなんとかしようとした。僕はよく、じゃがいもとか人参は皮を剥かないで食べる。皮と実の境目が一番栄養があるんだ。そう信じて止まない。里芋もそのノリでいけるもんだと思っていた。ちゃちゃっと洗って、丸ごと煮てしまおう。そうしてしまおう。

ではみなさん、泥つき里芋を実際に買ったことがあるでしょうか。イメージはできるでしょうか。また、調理したことは、あるでしょうか。

今回僕が泥つき里芋と格闘したわけだが、あれは最早泥つきの里芋ではない。里芋付きの泥である。

泥つき里芋を買ったことのない諸君、現物をありありと想像できない諸君。諸君の想像の遥か上をいく泥のつきかたをしているのが、泥つき里芋だ。まず、狸の睾丸袋もといビニールパックを開けた瞬間から、おやおや?と思う。芳醇な土の匂いが香る。これは小学生の頃、生活科の授業でジャガイモを作った時に力一杯スコップを地面に突き立て、掘り返した瞬間に香った匂いと全く同じだ。生臭いような、えぐいような、むきだしの匂い。

その時点で嫌な予感はした。だが、無理やりザルに空けて試しに水をかけてみる。想像通り、かけた先から逆濾過よろしく泥水の変化していく水道水。逆再生したら美しい水が生成されていく様が取れるんだろうなとぼんやりしながら、これから始まるであろう激闘に向けて心を整えていた。

狸の睾丸袋の中に入っていた無数のボールたちを握る。里芋のくせにぬるぬるしない。滑ったと思ったらそれは全て土だ。というか、土の鎧を着込みすぎて全く持って芋としての正体が掴めない。よく、料理できない子に野菜洗っといてとお願いをしたら洗剤で洗い出したみたいな笑い話を聞くが、洗っといてってお願いした野菜ってもしかすると泥つき里芋だったんじゃないかって思う。だったら至極納得がいく。僕もなんどもキュキュットに手が伸びそうになった。先の見えない洗浄の戦場最前線。化学の力を借りたくなった。高圧洗浄機とか欲しかった。

憎しみを込めて洗いまくった末に、やっとこ芋としての輪郭を取り戻した泥つき里芋。これくらいのキレイさで売られていると大半の人が思っているんだろうなってくらいの汚れ具合までたどり着いた。その後、皮との戦いに移ったのだが、クックパッドを駆使して皮むきの極意を会得していた僕の前に、里芋の皮は無力であった。10分間の煮沸ののち、流水で冷ました里芋の皮はいともたやすく剥がれ落ちた。世の女性はこういうクレンジングを待ち望んでいるの違いない。ツルツル落ちる。

普通の里芋から皮むき里芋へと変化させるのは容易かったが、泥つき里芋から普通の里芋へと変化させるのがあまりにも辛すぎて、もうしばらく泥つき里芋はいらないかなって気分である。

しかし冒頭に戻って読み直してほしい。そう、僕は泥つき里芋を2パック買っている。まだ睾丸袋が一袋転がっているのだ。

僕らの戦いはまだ始まったばかりである。