徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

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喩え話貧者

日常会話を面白くするための方程式っていうのが多分存在していて、その中の一つに個別の事象を一般化する(喩える)ことがある。

テトリスで喩えるならば

不意にタイミングよく、待っていたものが来た時に、「テトリスの長い棒が来た」という一般化をしたり、全く美味しくなくて誰にも見向きもされない料理を「テトリスの奇抜な形したやつ」と一般化したりする。

誰もがなんとなくわかるレベルの喩え話であれば、そこそこな民意を得られる。上手いこと要領を押さえて喩えられた場合には、元ネタを喋った方にも話をわかってもらえている感覚を与えられる。喩えられてみた時にこれは痛感する。

喩え稼業をせっせとこなす日々だ。コミュニケーションの本質をずらしながら誤魔化す、のらりくらりの喩え稼業。こればっかりやってると、なんとも自分の引き出しが枯渇していく感覚がわかる。同じシチュエーションで出てくる喩えがワンパターンで、前にも似たようなこと話したなぁと思いながら話す。すると、自分が面白いこと言っている確証が持てないから勢いが出ない。結果、面白くない。

別にダウンタウンが好きなのではないけれど、松本人志はものすごく喩えがうまいに違いない。ネットニュースとかでたまに流れてくる松本人志の全盛期(何を持っての全盛期かは知らない)の名言集的なそれを見ると、なるほどキレキレなのが一目瞭然だ。ノックアウトされた曙太郎を小籠包みたいと喩えたのは本当にすごいと思う。

つまるところ、瞬間的に過去の経験の引き出しを開けることができるやつが例え話がうまい。ある刺激に対して、この引き出しが似てる!って瞬時に開ける力。現状僕は、著しく引き出しの数が不足している。開け古した引き出しが並んだマイチェストにはなんの魅力もない。

何かとアウトプットばっかりしたがる性分が良くないのだろう。曲作りたいし文章書きたいけど、大した曲も聞かないし本も読まないから含蓄のないどんぐりばかりが並ぶ。引き出しは増えないままである。結局アマゾンプライムでも大して映画見ないままだ。

次の休日にでも、引き出し増やしにでも動こうか。