徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

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同期とは

ちなむと今、いいだけ酒を飲んで帰ってきたところで、酩酊状態のところに同期よりLINE電話が入りそれに応答しているところである。

この、ある種の体力の鉛筆削りとも取れる行為は、恐ろしいほど心地よく喉元を締め付け、瞼を押さえつけていく。なんだ、悪くない。悪くないです。

無茶と無謀は違うから、そのあたりきちっと区別しておけと、高校の陸上部の顧問に言われたことを今でも思い出す。自己管理の範疇に誰も入ることはできない。自分が行けるといえば行けるし、行けないと言えば行けないのである。この、行けないと言う勇気。これが大事なのであって、たとえば怪我をしそうな時に行けると言うか否かは自分をどれだけ知るかにかかってきている。

自己管理の観点からいくと、自己管理貞操観念から逸脱した今を過ごしているあたり、幾ばくかの背徳感を抱きながら本文章を書き上げているところである。

そこで、同期という存在が見え隠れする。

なんとなく、お互いに苦労しているんだろうなと慮る。それは、後輩に対するもっと頑張れや、先輩に対するしっかりしろでもなく、もっと暖かく優しい感情である。逆に、お互いを卑下したりもしない。是々非々で対応する覚悟とか、与党に対する維新の会の諸言動に似たそれである。

僕の是は、相手の是にもなる。そう考える。これは日本的な考えなのかもしれない。いわゆる、「あいつも頑張っているから俺も頑張る。俺も頑張るからあいつも頑張れ。」の気持ちだ。

これが共助なのだが、共助をするためには自助が不可欠である。自立してこその協働だ。

ここで問題になるのが、みんな共助の気持ちで励ましあって気合入れて仕事とコミュニケーションをとった結果、明日の仕事がズブズブになっていく可能性を秘めているという点である。いや、少なくとも僕自身は大丈夫である。朝強いし。なんてったって、朝強いし。

学生時代、くそまじめに日をまたぐ前に寝ていた人間を、こんな時間まで起こしてくれている同期に感謝を送りたい。僕の世界を広げたのはあなたたちです。ありがとう。

では、寝る。