つま先ほども練習しないで臨んだ勝負で惨敗したところで悔しくもなんともない。負けることがわかりきっているからだ。試験結果が出るときも、ドキドキするのは勉強して臨んだ試験と決まっている。ちんぷんかんぷんで受けた試験の結果なんてドキドキもハラハラもしない。惨めなだけだ。
この度、会社の消防隊に入隊し、近隣企業と競う消防訓練大会に出場せよとの指令を仰せつかった。ひと月程訓練を積んで、昨日がちょうど大会だった。臨んでいた結果の7掛け程度の結果に終わってしまったのだが、これがまた悔しい。
タイムと正確さ(100点満点)で競われる大会。100点満点が何よりも重要視され、どんなに速くとも100点満点でなければ順位が大きく下がる。僕らは98点で、2点がどこかで引かれていた。100点だったら3位に入賞していた。
全隊試技後に一気にタイムと点数が掲示され、順位も発表されたのだが、掲示の直前の緊張感と発表後の無念は久々の感情だった。業務の片手間であり、片手間でなかった。切実に訓練を考えていた。
真剣にやらないと悔しくもなんともないんだよって耳が腐るほど聞いた話だ。言う通りである。でもこれ真剣にやるって実はなかなか難しい。目標が区切られていて、そこまで猛ダッシュするのは容易い。しかし、人生規模の話になると、途端に目印はボヤける。
ボイジャーをご存知だろうか。今は太陽系を抜けたそのまた向こうの宇宙を旅している人工衛星。猛スピードで地球から遠ざかっていっている。記憶が確かであれば、ボイジャーが進み続けるシステムはこうだ。惑星や恒星の重力を借りて、ビュンビュンスピードを上げていく。次はあの星の重力、次はあの星。ボイジャーは何も考えていないかもしれないが、それはまるでマイルストーンを立ててそこまで全力疾走をする様に似ている。
こいつの鼻っ柱へし折りたいなぁって大人はたくさんいる。全く敵わない人間はいないと思って、犬歯をむき出しにする。でも、むき出しにしたとして、具体的にどこをどう噛んでいいのかわからない。鼻っ柱をへし折るための具体的事象がつかめない。結果、漠然と遥か彼方にある星を目指すこととなる。どの星の重力も捕まえられず、一向にダッシュできずに終わっていく。
今回消防訓練大会に参加して、改めて「悔しい」を感じた。これまで半端じゃないくらい陸上を真剣にやってきて、「悔しい」も「誇らしい」も「惨め」も経験してきたはずだった。でも改めて「悔しい」を目の前にした今、悔しいのプロセスが愛おしくて仕方ない。昔は感じなかった感覚だ。
当たり前にやっていた努力をしなくなって、今、悔しいから少し離れているところなのだろう。仕事とプライベートを充実させろと会社に言われ、どっちつかずのノー努力人間の沼にハマりかけている。
そんな今死んだとして、事切れる間際、僕は悔しがるだろうか。わからない。
とにかく悔しがりたい。死ぬときに。
頼むからもっと生きたい。次の星が見つかっているんだ。次の重力でまた加速して、まだまだあの星まで近づけるんだ。
そんな思いを持って、死んでいきたい。