徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

絵が下手な人間は何も見てないんだと思う

100人を無作為に選んで一斉に絵を描かせたとしたら90番目くらいに位置するであろう壊滅的な画力を搭載した人間が僕だ。被写体デストロイヤーと呼んでほしい。

この間、「〇〇さんってどんな人だっけ。」という疑問を投げかけられ、持ちうる語彙をフル稼働させて〇〇さんについて伝えようと試みた。「スラッとした体型で小顔。丸顔と逆三角形の中間くらいの顔の形。肩くらいの髪の長さでおかっぱ。色は栗色。目は切れ長で…」散々話してみたはいいものの、全くもって伝えられずに力尽きた。その後、じゃあちょっと描いてみてよと言われ、滑らかに書けると噂のジェットストリームボールペンで描いた〇〇さんは棒人間に二本くらい毛が生えた代物でしかなかった。人と呼ぶのも憚られれるそれは、おぞましかった。〇〇さんには間違っても見せられない。

「描いてみて。」

これを言われた時、言葉で必死に伝えていた際には鮮明に結ばれていた〇〇さんの像が音を立てて崩れていくのを感じた。真白なメモ紙が脳内の像を塗り潰していった。そうして気がついた。僕は世界を見て把握しているフリをして、何もみていない。

〇〇さんに限ったことではなかった。犬とか猫とか動物を描こうとしても、必ず左から見た断面図になってしまう。正面から描いた時に奥行きがどうなっているのか全くわからない。丸みを帯びたものとか躍動しているものを描くなんて及びもつかない。

多分全部の原因が見ていないところにある。

昔から漫画を読むのが早かった。週間少年ジャンプが育ての親なのだが、それこそテニスの王子様BLEACHに関しては数十秒で読み終わった。速読だ。何しろ絵を大して見ていない。めっちゃ挿絵が入っている小説を読んでいるようなものであった。「ドォォォン」「ズバァァァァ」が僕の1週間であった。漫画家たちの技術の粋が詰まっているはずの絵の方をないがしろにし続けた。

犬猫に代表される動物さんたちも、犬を犬足らしめているエッセンスは把握しているものの、詳細については全くの盲目を貫いている。見たフリ、知ったフリだ。

先日ひどい二日酔いになって、飲んだものがそのまま出て来る状況に追い込まれた。吐きながら、苦しみながら、人は飲んだものしか吐けないんだ…と何かを悟った。吸った息しか吐けない。飲んだ酒しか吐けない。聴いた曲しか歌えないし、見たものしか描けない。

そんな折、不意に〇〇さんに会った。まじまじと〇〇さんの顔をみる。次は描けるように、次は歪んだ棒人間にしてしまわぬように。ふと我に返ると、〇〇さんは怪訝と不快感を足して2を掛けたような表情をしていた。「次はうまく書きますからね!」〇〇さんは怪訝と不快感を足して2乗したような表情になって去っていった。