徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

月初の祈り

月初。昨日が月末の金曜日だったこともあり、一つの山を乗り越えた感があるサラリーマンが多いのではないだろうか。そんな中僕は今日も出勤です。

実家には神棚があった。別に神道じゃない。バキバキの仏教徒だ。でもなぜだか実家にも、祖母の家にも神棚があった。

親父は毎早朝何かを祈っている。榊の水を替え、二拍手一礼の後、飯を作って食べている。母と僕は大抵その頃寝ているかぼんやりしているのだが、月初だけは必ず一緒に祈る。居間で二度寝しているところを揺すられ、起こされ、月初の祈りに参加させられる。

当時自分が何を祈ってたのかよく覚えてない。多分学校とか部活とか青春っぽい有象無象への祈りを捧げていたのだろう。何かのテレビ番組で、他力本願に祈るのではなく自分はこうすると宣言をして、見守って下さいとお願いするのが正しい作法だと聞いてからは、まじで頑張るしまじで振り絞るので見ていて下さいと祈るようになったことは覚えている。覚悟の祈りである。

果たして、現在。神棚もなければ寺社仏閣にもいかないここのところ。ものの見事に祈らなくなった。宣言もしなくなった。秘めた覚悟がないわけではないだろうが、認知しなければ本当も嘘になってしまう。

今朝も親父と母ちゃんは神棚の前で並んで手を合わせていたことだろう。商売の繁盛と家族の健康。その祈りの端っこにあやかり、今日も元気に出勤です。

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