徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

ボクらの時代のせいで溢れ出した思いを綴る

日曜朝のフジテレビといえばボクらの時代だ。

様々な業界の仲良し3人組が某所のカフェに会して対談する。いや、対談というほどのものでもなく、ただのおしゃべり会に近い。

ただのおしゃべり会といえど、第一人者がこぞって出てくるもので全く侮れない。知りうる中では、「蜷川幸雄大橋巨泉永六輔」なんていう今頃天国で幅効かせまくってるに違いない3名によるトンデモおしゃべり会が一番強烈な組み合わせだった。見ていて疲れた。

毎週というわけではなく、タイミングが合えば見る程度の視聴頻度だが、たまたま今日は見ることができた。

上田誠森見登美彦万城目学

舞台作家と作家と作家。言葉で遊ぶ人たちの言葉での戯れだった。

彼らの作品に熱を上げた経験があるわけではない。従兄弟が森見登美彦を好きで、四畳半神話体系を借りて読んだ。万城目学鴨川ホルモーを何光年か昔に読んだんだけど内容忘れた。舞台は見たことない。その程度である。しかし、言葉が豊かな人たちの話を聞くのは面白かった。

普段サラリーマンしていると、「世間一般における普通の価値観」に慣れさせられるところがある。Aという刺激にはBという反応が来るのが普通。それ以外の人が出て来ると身構える。みたいなやつだ。似たような連中で似たような価値観の元似たような判断をする心地よさというか安心感は計り知れない。

僕は僕で、現職の都合上「世間一般における普通の価値観」を懸命に会得している最中なのだが、作家たちの邂逅を見ると、なんかそういうのどうでもよくなってくる。

やはり作家の感性はマイノリティなのだろう。自動販売機をこよなく愛する森見登美彦にものすごい共感を見せる上田誠。そこの話題には全く理解を示さないものの、言葉の型には絶対にハマりたくないと豪語する万城目学。みんながみんな、少しずつずれた感性をほとばしらせていた。

いやー、これだよな、これがあるべき姿だよなと、心の相槌をめっちゃくちゃに打ちまくった。日々当たり前のようにペタペタブログを書いているのだが、多分これはこれで世間一般における普通の価値観からはちょっとずれていて、表現したい側の人間の心というのがすこーしだけわかる。変なこだわりとか、変な物好きを抱え込んでいないと文章とかって書けないものなのかもしれない。作家を目指して、音楽家を目指して、表現者を目指して脱サラする人たちはきっと、夢を追う側面もあるだろうけど、「世間一般における普通の価値観」に浸るのがしんどくなるんだと思う。今日、ボクらの時代を観て感じた腑に落ち感を毎日感じてしまうと、サラリーマンできなくなるかもしれないなと思った。ニッチな感性を見せ合う時の開放感は計り知れないし、価値観の枷を解いた時の浮遊感も計り知れない。

そうして今日もよくある価値観、よくある考え方に懸命に染まる。浸る。少し朝から解き放たれた気がするので、心持ちは楽である。

Here we go。