徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

日光に当たるという労

ここのところ仕事の時期的なもので外出することが多い。梅雨空は困ったもので、濡れちゃいけないのに容赦なく叩きつける雨粒にはほとほと悩まされる。しかしあれを雨だれに昇華したショパンは規格外の天才だと思う。

雨もしんどい。しかし、晴れもしんどい。今日、心底感じた。東京は30度を超え、真夏の暑さを一年ぶりに取り戻した。季節のブランコは規則正しく揺れてくれている。振れ幅が大きくなっている感じは否めないが。梅雨も明けないのに夏に振り切ろうとしているここ2日くらい。日光の力を思い知っている。

子供の頃から比較的外で遊んでいたし、部活では春夏秋冬問わず外を駆け回っていた。日光に育てられた人生。太陽に育まれた体躯。日向ぼっこも好きだ。真夏だって日向を歩きたい。しかし僕の日向は、全てプライベートに存在した。公が誕生してから、つまり勤めだしてから僕は、陽に当たらない仕事に終始していた。で、まぁ、この夏から仕事で出歩くことが多くなったわけだ。

仕事で日光と戯れると、日光の印象が全く変わる。

暑い。汗かく。もうスーツが大変なことになる。ペタペタくっつくズボン。汗染みが超大陸パンゲアの如く連結するシャツ。それでもスーツ着た兄ちゃんがトボトボ歩くと悲壮感がメントスコーラみたいに溢れ出してくるので極力背筋伸ばしてスタスタ歩く。そして滲み出る汗。汗。パンゲアをジャケットで隠して外の仕事を済まし、帰社して机についてからは乾かしに躍起になる。そして汗の匂いをファブリーズのシャワーに包んでポイする。

とにかくえらいことになるのです。汗が、暑さが。

そもそも汗は気化を促すたまにある。なぜこれほどまでに人類は皮膚を覆うか。気化できないじゃん。吸うじゃん。なんか静岡の方で女の人が暑いからって公衆の面前で服脱ぎ捨てて下着姿になったんで捕まえたってニュースを見たけど、取り調べが終わったら是非とも元気付けてあげたい。気持ちはわかります。

うだうだ言うが、日陰にずっといるよりはよほど外に出た方が気分が晴れる。気持ちのいい外出ばかりではないのが苦しいところだが。

肌が簡単に焼けるタチで、色んな人にどっか遊びに行ったの?って聞かれる。仕事と都心の太陽に焼かれたのだと、この場を借りて釈明させていただきたい。

そう言うわけで、僕は元気です。