徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

親父の大学の同級生たちと酒を飲むたびに感じること

親父と僕は40年の歳の差がある。親父が40年前に通ったところを今僕が通過している。翻って、僕の40年後をひた走っているのが親父である。

諸般の事情で親父が昨日東京にやって来た。彼は東京の大学を出ているのでこちらにも友人が多い。年に一回、ふらっと東京に来て旧友たちとの親睦をなぞっては、さっと北海道に引っ込む。息子も東京で働いているので、数年前からその付き合いに間借りさせてもらっている。親父の大学の同級生with息子。40年前と40年後のバックトゥザ・フューチャー。

40年というのはまずまず長い年月で、たいていの元号が変わったり景気が4回くらい浮き沈んだりする。もっと個人にフォーカスすると、子供ができて孫ができたり、死にかけてから息を吹き返したり、富豪が無一文になって這い上がったり、その程度のドラマであれば幾らでも紡げてしまう。

十人十色の脚本を突き進んで来た40年後が、40年前の話で盛り上がる姿を年に一回目の当たりにする。その度、なんて幸せなのかと思う。

俺もこうなりたい。40年後に今の話を昨日のことのように話したい。なんとなく人生が踊り場にさしかかり落ち着きつつあるころ、今を振り返りたい。と同時に、40年間クソほど気合入れて生きなきゃならんなと思う。人並みの幸せを手に入れるのにどれだけ頑張ればいいのか。野球みたいなものだろう。10割打とうとして3割しか打てなくて、それでも超一流。これからの40年も全部フルパワーでぶっ込んで、3割やそこらの結実だと思う。その3割が40年後の踊り場を生む。徐行運転で辿り着こうなんてナメた考えだと簡単に踏み外すだろう。3割打者を目指したりしたら1分も打てない。全部打つ気、全部勝つ気だ。

つって、本日も頭を下げる。垂らした頭が僕のフルスイングである。見てろ40年後。