徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

汗燥文

殆ど夏ような空が広がる。ただ宣言をしていないだけで梅雨は明けているのではなかろうか。気象庁と天候の駆け引きはさながら恋のようで、さっさと梅雨明け宣言しちまえよ!とけしかけてやりたくなる。えぇー、まだいいよ…本当に明けてるかわかんないだろう?って尻込みする気象庁がいじらしい。

お役所と空は付かず離れずかもしれないが、僕の肌とシャツはベタベタのバカップルである。恋のキューピッドは汗。主たる僕の意見を全く聞かずに肌とシャツの間を取持ち、望むべくもない婚姻関係を結ばせている。おかげで僕の肌着のラインは切なくなるほど露わになっている。哀しいかなそこに色気はなく、連休をとって旅行に出ているらしき観光客との都合のいい対象物として駅のホームに佇むばかり。すこし猫背で前のめりになりながら親指を忙しなくさせる姿は艶美ではなく憐憫だ。

一心不乱猪突猛進にホームへ突っ込んできた電車の中は既視感のある姿をした青年中年壮年が詰め込まれている。理科の教科書の分子構造を思い出す。水素と水素の引き合い、プラスとマイナスの引き合い。ぎゅうぎゅうの彼らはなにを持って結合しているのやら。パッと開いたドアからカマキリの子供のように吹き出す彼らをみて、大して結合が強くなかったことを知る。空いたスペースにいそいそと僕も入る。車内で繰り広げられる椅子取りゲームへの参加権を掴めないまま、つり革を掴む。たまに差し込む冷房のおかげで肌とシャツは徐々に疎遠になっていく。むしろ車内の方が快適だ。狂気の沙汰と思われた日差しも車内からだとさも美しく世を照らす。通過する駅には撮り鉄が構えており、電車を撮影する。日差しに美化された撮り鉄。この乗り物はそんなに魅力的ですか。確かに乗り心地は今悪くないです。

乗り入れのおかげで上りが下りに変わり、車内は空いた。いつもの駅に着く。さっきはカマキリの子供くらいの勢いがあった降車風景だったが、今やハムスターのフンだ。ぽとりと駅に落とされる。日差しが再び牙を剥く。噛み付かれた傷から吹き出す汗。肌とシャツのランデブーがまた始まる。

後ろで走り出した電車は薄着とスーツケース達を避暑地へと運んでいく。僕は冷房室内という人工的な避暑地へ向かう。しかし、ただの避暑地ではない。戦地でもある。手を替え品を替え爆弾の雨が降る。

熱気が原因ではない、また別の汗を滴らせて走る。どちらにせよ、美しい姿ではなかった。