徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

ホワイト企業に勤めているけれど

僕が働いている会社はホワイト企業である。一部上場の責任に追われてかもしれないが、残業代がつかないことはないし、つけない判断をした際には叱責が飛ぶ。エレベーターの脇っちょには、不払い労働はやめよう!というポスターがペタペタと貼られている。あからさまに組合が強く、労使交渉で業績が多少悪くても前年同様の給与をぶんどってきたりもする。年の規定残業時間も決まっており、それ以上働こうもんならしょっぴかれる。

対して、他の会社における激務のお話はそこら中に飛び交っている。働き方改革、働き方改革と念仏を唱えるのは簡単だが、実際のところ大きなテコ入れがされているのかは疑問だ。僕が年間で行う残業をひと月で悠々クリアするサラリーマンが多くいる。仕事に溺れてもがいた両手にお金が付いてくる人もいれば、定額賃金で溺れ放題という決死の労働環境も散見されるようだ。

ではうちの会社が模範的な働き方かというと、全くそういうわけではない。そもそも全く儲かる体質の商売ではなかったようで、売れてた時は良かったけどみんながそっぽ向き出したら所でいよいよ苦しくなった。売上規模が下がってきた結果、生産性を保つためには残業代を抑えなければならない。仕方なしのホワイト企業だ。穴の空いた桶に水を溜め続けるためには穴を塞ぐかぶっちぎりの水量を注ぎ込むか。供給水量が減ってるから穴塞ごうぜ!って話である。

残業やめよう活動の本質ってそこじゃなくて、供給水量を増やした結果としてもたらされるべきだろう。盲目的な止血じゃなく、最小限の人と時間で最大限の売り上げを作るための工夫を施して、生産性があがって労働時間が減る。しかしそもそもの儲けが減ってる時に工夫しようったって原資もないわけで、極端な話次の追い風を待つしかないジリ貧に追い込まれる。止血が目的になっていく。

言うが易しで、ペーペーが出来ることなんてたかが知れている。工夫の余地を遠目に見ながら、薄給を理由に特に対策も打たないままなんとなく日々を過ごす。ぬるま湯は心地いいがいつかは湯も冷める。水になったと気付いた時には手遅れである。

風邪ひかないようにしていきたい。