徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

埠頭

埠頭が好きかもしれないと気づいたのは最近のことだった。物流倉庫に度々出入りするが、大抵の倉庫は船便のこともあり港湾地帯にある。そこはもれなく埠頭となっている。

工業の拠点となることも多い埠頭。今でこそ環境保護が声高に叫ばれているが、とてもクリーンな地域かと言えばそうではない。深呼吸をしたくない気分にさせられるような煙があがったり、臭いがしたりする。住みたくはない。少なくとも。

埠頭は自分のサイズがよくわかるから好きだ。馬鹿でかいトラックが連なって走ったと思えば波止場にはトラックの比にならないほどでかいフェリーが停泊している。さらにでかい物流倉庫が住宅街かのように密集している様は北海道の大自然とも、丸の内や新宿西口の画一なビル群とも違う、海と建物の圧力を感じさせる。やはり人間はどうしようもなく小さい。

小さい自分を認めて、悩み辛み嫉みがなんてちっぽけなんだ!という話はよくあるが、そこまで思い至らずとも、小さな存在だという事実が僕を安心させてくれる。とかく、僕らは何かを為すために生きようとする。しがない功名心や自尊心が疼くから。ただ、何かを為すのはなかなかに大変で、努力とお金と時間とアイデアと、盛りだくさんなインフラを投入して、それでも為し得なかったりする。そもそも努力のハードルが高いというのに。

埠頭を歩くと、為し得なくても仕方ないかなって気になる。自らの小ささたるや、布団のノミダニとなんら変わらない。何をしようっていうんだろうか、ノミダニが。なんて、ある種の諦観に浸ってどうしようもなさにヘラヘラしたいらしい。一種の心のバリアである。

品川の埠頭。モノレールから見下ろした埠頭では今日も変わらず重機が首を振り回していた。気温以上に蒸し暑さを感じる東京で、重機のそれは悶えているようにも見えた。そうか、お前も苦しいか。お互い頑張ろうな。

そんなことをふと思った。埠頭だけに。