徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

選べる強さと知らない弱さ

縁あってクルーズに参加した。工場見学と銘打ったクルーズである。埠頭という埠頭、桟橋という桟橋、タンカーというタンカー、クレーンというクレーン、ガスタンクというガスタンク。工業にまつわるあらゆるそれらを拝見した。そもそもクルーズに興味があったわけでも、工業地帯に興味があったわけでもない。行くよ!の声に軽快に飛び乗った。それだけである。しかしだ、これが面白いんだから幸せです。

YouTubeのアカウントを持っているだろうか。アカウントを持っていると延々とおすすめ動画で好みそうな動画を上げてくれてくれる。君、こんなのも好きでしょ?これも好きだよね?たかだかYouTubeに好みを言い当てられてぐうの音も出ないまま、おすすめ動画の渦に飲み込まれて行く。渦中、不意にログアウトしてYouTubeにアクセスしてみると、偏りのない動画群を見ることができる。自分1人の力じゃまず観ることのなかったであろう料理動画や子育て動画など、最大公約数を知る。

家と会社の往復をしているだけだと偏りの渦にどこまでも落っこちて行く。誰も助けの船を出さない。見覚えのある曲、見覚えのあるニュース、見覚えのある動画に何度も目を通す。それはそれでいい。楽しい。でも、世界は広い。深くも掘れるが、広い。

今日見た工場群は自分じゃ決して観に行かない代物だった。しかし多分に知的好奇心をくすぐってくれた。美しくもあった。

ミュージックビデオを腐る程見返して人の解釈を読んでなるほどなって思うのも一興。でもこれほどまでの純度の一次情報に晒されて乏しい感受性にグサグサとスパイクを差し込まれるのも一興だ。24時間稼働の工場が作り出す幻想的な風景。論じるまでもなくそれは誰かの汗と疲労に裏打ちされたものだった。そんな程度の感想で複雑な思いに駆られる。チャチい。しかし、それが精一杯で、精一杯を知られたのはいいことかと思う。

とりあえず、有毒物質をそのまま大気に垂れ流すのではなく、一回燃やしてから空気中に放り出した方が害は少ない。そういう「とりあえず燃やしとくか施設」のことをフレアスタックということを学んだ本クルーズであった。

以上