徒然雑草

踏みつけられるほどに育つ

それから

というわけで、昨日夜は逡巡極まる帰路だったのだが、結論から言うと、スーパーで買い物して自炊した。豚肉を買って、バター醤油で炒めた。数ある晩御飯の選択肢の中で、ほぼ満点のルートを辿ったと思う。

人的なコストを払って自炊の道を進むか、金銭的なコストを払って外食の道を進むか。持続的な生活を営んで行くのであれば、人的なコストを振り絞る方が得だ。しかし疲れとかそれに準ずるハードルが高くそびえ立つ。阻まれる。

一人暮らしが長くなってきた。これほどまで融通が効く生活もない。とらわれる家族がいないことで、会社にさえ行けばどこでどう過ごしたところで誰も困らないし誰も文句を言わない。しかし、とらわれないから選択肢が生まれる。人生において選択肢が豊富なのは有利この上ないが、もっとミクロなところでの選択肢はただの迷いにしかならない。

バルサのパスサッカーが全盛だったころ、それに対抗するように隆盛したカウンター一発のサッカー。チェルシーやインテルが一翼を担ったそれは実にシステマチックだった。相手チームにボール回させて、インターセプトした時点からはほぼ一本道でゴールまで運ぶ。どれだけスピーディかつスムーズにディエゴ・ミリートまで持って行くかの勝負。そこに選択肢が多く存在してしまうと不必要なタメが生まれ、ロスになる。

ボール奪取と共に一目散にゴールに向かうカウンターサッカーのごとく、一目散に家に帰る動機が欲しい。哀しいかな、望むべくもない。